何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで…「失敗だらけの道」を歩んでいるのかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、「EGOIST(エゴイスト)」SHIBUYA109店の元カリスマ店員で現在はヨーコモリモトデザインオフィスの代表でクリエイティブディレクターを務める森本容子さん(43歳)の失敗図鑑(上編)です。

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自分発信が苦手だったカリスマ店員時代

 1990年代後半、高校生から20代の女性を中心にギャルブームが巻き起こった。明るいロングヘアに小麦色の肌、目元を強調したメイクが流行し、タイトな服に厚底ブーツを合わせた女性が街を席巻していた。

 彼女たちの聖地は、東京・渋谷にあるファッション専門店「SHIBUYA109(以下、109)」。ギャル向けのファッションブランドやグッズがそろう流行の発信地だ。当時、そこで働く販売員は「カリスマ店員」と呼ばれ、数々のメディアに登場、ギャルたちの羨望を集めていた。中でも絶大な人気を誇ったギャルブランド、「EGOIST(エゴイスト)」のカリスマ店員としてブームをけん引していたのが、今回の主人公・森本容子さんだ。

「販売員時代は寝る間もなかった。朝か夜に雑誌撮影、昼間は接客。休日に突然呼び出されることも。忙しかったですが、20代はとても楽しく、充実していました」
「販売員時代は寝る間もなかった。朝か夜に雑誌撮影、昼間は接客。休日に突然呼び出されることも。忙しかったですが、20代はとても楽しく、充実していました」

 森本さんは、18歳でアパレル販売員のキャリアをスタート。エゴイストの109店に配属されてからは、抜群のファッションセンスと体形をすらりと見せる着こなしで顧客の支持を集め、瞬く間に人気者となった。多くのファッション誌やメディアに登場し、身につけた服は即完売。ギャルブームを象徴する存在だったが、意外にも「自分から何かを発信したいとは思っていなかった」と話す

 「当時から、自分で○○を流行させようなどと思ったことはないですね。雑誌の撮影では、毎回企画に合わせて準備をしていたので、せっかくだから前回と髪形を変えよう、同じ撮影に参加する他の販売員仲間とかぶらないコーディネートにしようといった工夫をしていたくらい。当時はブログもmixi(ミクシィ)も周りの人に『やったほうがいいよ』と言われたから始めただけなんです。今は、自社ブランドの責任者としてブログとInstagramをやっていますが、毎回投稿内容に悩むぐらい発信は苦手です」

 とはいえ、一躍、時代の寵児(ちょうじ)となった森本さんには、さまざまなチャンスが訪れた。エゴイストを卒業した22歳のとき、アパレル企業から新ブランドのディレクターとして招かれたのだ。しかし、「実は、それこそが失敗の一つでした」と話す。