自己肯定感が持てなかった20代

 自身で事業計画を練り、プレゼンすると両親は承諾。これまでの服作りのノウハウを生かして アルページュ初のブランドとなる『Apuweiser-riche(以下、アプワイザー・リッシェ)』を立ち上げた。

 「意気込んだものの、いざブランドをつくるとなると想像以上に大変でした。納得できる品質の製品が出来上がっても、商標登録などの事務手続き、出店させてくれる商業施設の開拓などに何度もつまずきましたね。VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)も基礎から勉強。知名度が低かったため、スタイリストやファッション雑誌の編集部にアピールしてブランドの認知度を高めるためのアクションも起こしました。その成果が出て、2003年に百貨店に第1号店を出すことができたんです」

 念願の百貨店進出をかなえたものの、まだ知名度が低くなかなか顧客がつかない、販売員が長続きしないなどの新たな課題にぶつかったが、野口さんは立ち止まらなかった。販売員教育に注力し、ファッション系のメディアへの露出を増やすなどの努力を続けるうちに、アプワイザー・リッシェは若い女性を中心に好評を博し、人気ブランドに成長。小売業界や社内からも「ぜひ、次のブランドを」と期待されるようになった。

「ブランドを立ち上げた前後は、帰宅途中でさえ父と電話で口論していました。辞めたいと言う販売スタッフを引き留めるために話し込んだことも何度もあります」
「ブランドを立ち上げた前後は、帰宅途中でさえ父と電話で口論していました。辞めたいと言う販売スタッフを引き留めるために話し込んだことも何度もあります」

 「28歳ぐらいまで、いつも目に見えないもう1人の自分と戦っていた感じ」と話す野口さん。29歳になった頃から、感情を表に出す前に一旦立ち止まり、クールダウンできるようになった。そこから仕事においても少しずつ肩の力を抜けるようになったと言う。

 「20代の頃の私は、自己肯定感が持てなかったのかもしれません。幼少期、両親は仕事で忙しく、私は祖母と過ごすほうが多かった。親に本気で怒られたこともありませんが、褒められた記憶もほとんどないんです。今なら本当はそんなことはないと分かるのですが、当時は父も母も私に関心がないのではないか? と寂しく感じていました。こうした気持ちが無意識下にあったために、できる人でありたい、誰かに認められたいという気持ちが強くなり過ぎて、いつもハードモードになっていたのだと思います。でも、仕事を通じて、自分はまだまだだと実感しましたし、そこからまた頑張ってブランドを立ち上げ、会社の未来に希望が持てるようになったとき、ようやく、もっと自由にやっていいと解放された気がしたんです」

 その翌年には、2つ目のブランドとなる『ジャスグリッティー』を発表。しかし、その頃30歳を迎えた野口さんは、子どもを産むかどうかについて真剣に向き合うことになる。

 下編「アルページュ社長 野口麻衣子 孤独と不安で産後うつ」に続く

取材・文/高橋奈巳(日経xwoman doors) 写真/稲垣純也

下編「アルページュ社長 野口麻衣子 出産・育児で自分を見失いかけた」では、次のストーリーを展開

■産むか産まないかで悩んだ30代前半
■母から渡された紙袋が自分を取り戻すきっかけに
■「育児もチームで」が自分に合っていた
■コロナ禍で業績が下方に 乗り越えられた理由
■「MUST」を「WANT」に変えれば次のステージが見える