何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで…「失敗だらけの道」を歩んでいるのかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、元ビリギャル・小林さやかさん(33歳)の失敗図鑑(下編)です。

元ビリギャル小林さやか ギャルマインド抜けきらず失敗
元ビリギャル小林さやか コロナ禍で知った自分のおごり ←今回はここ

 2013年に出版された書籍『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴著・KADOKAWA)のモデルとして注目を集めた小林さやかさん。接客が好きだったことから、大学卒業後はウエディングプランナーとしてキャリアをスタートさせたが、多忙により体調を崩し、退職せざるを得なくなった。

条件の良さで転職するも、半年で退職

 「入社当初は問題児扱いされましたが、先輩や上司は私の頑張りを見ていてくれました。ある上司に『誰よりも結婚式で泣いていたよね』って言われたときは、私がどういう気持ちで仕事をしていたのかを分かってくれていたんだと、胸が熱くなりました。

 ウエディングプランナーの仕事は大好きだったけれど、当時は本当に疲れ果ててしまい、体が限界に。退職して、次は規則正しい生活を送れる仕事をしようと決めました」

「ウエディングの仕事は大好きで、お客様から担当の変更を言われたことがありません。お客様が担当替えを希望するのはよくある話ですが、私は1回もなく、誇りにしています」
「ウエディングの仕事は大好きで、お客様から担当の変更を言われたことがありません。お客様が担当替えを希望するのはよくある話ですが、私は1回もなく、誇りにしています」

 小林さんが次に選んだ就職先は、親戚から紹介された輸入販売会社の総合職。勤務時間は9時から18時で残業がないと聞き、2つ返事で入社した。最初こそ、「早く帰れて最高!」と思っていたものの、次第に物足りなさを感じるようになる。

 「会社で扱う製品はロードバイク用のタイヤなど、私にとっては身近でないものばかり。自分にとってワクワクしないものに携わるって、こんなにつらいのかと実感しました。早く帰宅できても、やることはないし、退屈だったんです。耐えられなくなり、ウエディング業界に戻ろうと思いました」

 社長に退職の意思を伝えると、「そう言うと思った。でも、夢ややりたいことが必ずしもうまくいくとは限らない。いつでも戻っておいで」と、温かい言葉を掛けてくれた。

年表