「この人を見習え」と言われても…

 佐々木さんが入社した90年代後半は、都市銀行が半減し、老舗の大手証券会社が破綻するなど、金融機関の不良債権問題が表面化した時代だった。そして、本来なら新人は配属されない不良債権処理をする部署に、新人が3人配属され、その1人として「まぐれ入社」の佐々木さんも選ばれた。各地の銀行に出向いて査定する前線に送り込まれ、「プレッシャーだらけだった」という。

 「同期で唯一の女性総合職でもあったので、実力よりも目立ってしまう。女性の先輩でとても優秀な金融のエキスパートの方がいて、周囲からよく『彼女を見習いなさい』と言われて……。でも、どんなに頑張っても彼女のようにはなれる気はしない。必死で頑張りはするけど、自分の中に燃えるものがあるわけでもない。周りの期待には応えたい、合格点以上を取りたいという一心で、とにかく指示をこなす感じ。結果、評価は『そこそこ』でした」

受かって当然の留学選考で不合格

 その後、花形部署の一つで、各金融機関の資金繰りなどをモニタリングする部署に異動したものの、「燃え」ることもなく、「各金融機関からの報告を聞いて、上に挙げるだけ。出世するほど現場から離れて仕事が抽象的になり、やりがいを感じにくくなるのかもと思うことも……」。そんなジレンマのせいか、総合職なら受かって当然とされる留学対象者選抜試験の選考で、まさか落とされてしまった。

 「それほど本気ではない志望動機を見破られたんだと思います。正直、どこの留学先がいいとか希望もない。法学部出身だからリーガル部門のキャリアを目指したい、って志望動機に書かなくちゃな、と・・・。要するに、日銀でのキャリアプランが全くイメージできていなかったんですよね。落とされて当然とはいえ、自分のふがいなさも含めて、ショックで泣きました

 だが、この失敗後も、自分は何をしたいのか、どうしたら自分を生かせるのか、という問いに対する答えを見つけられず、4年半で退職。そして、高校時代の男友達でコンサルティング会社に勤める人から、「コンサルティングが向いているんじゃない?」と勧められたのがきっかけで、マッキンゼー・アンド・カンパニーへの転職を決めた。

 それですんなり転職できてしまうのは、「さすが」の一言に尽きるが、この後、佐々木さんは、引きこもって膝を抱え、涙を流すことになる