何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで…「失敗だらけの道」を歩んでいるかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、チェンジウェーブCEOの佐々木裕子さん(46歳)。華麗なキャリアを築いてきた佐々木さんだが、「20代は何となくぼんやり生きてきて、失敗のたびに泣いていた」という。一体、どんな失敗を経験したのだろう。

(上) 海外エリートの洗礼受け挫折 怖気づくと思い出すあの日 ←今回はここ
(下) 発熱の娘を残し海外出張「もっと大事なことが…」と帰国

 東京大学法学部を卒業後、日本銀行に4年半勤務し、世界で最も権威があるコンサルティング会社といわれるマッキンゼー・アンド・カンパニーに8年強勤務してから起業した、チェンジウェーブ、リクシスCEOの佐々木裕子さん(46歳)。

 その華麗過ぎる経歴と失敗は無縁そうだが、本人いわく「社会人になってから、何となくぼんやり生きてきて、失敗するたびにさめざめと泣き、半引きこもりになったこともある」という。

グローバルにも活躍するチェンジウェーブ・リクシスCEOの佐々木裕子さん。引きこもるほどの失敗とは一体…?
グローバルにも活躍するチェンジウェーブ・リクシスCEOの佐々木裕子さん。引きこもるほどの失敗とは一体…?

18歳で描いていた夢を失い、人生迷路に

 「中学生のころからずっと、外交官になるのが夢だったんです。外交官になるには外務公務員試験に合格する必要があり、そのためには、当時、東京大学か一橋大学か東京外国語大学に進学しなければパスするのは難しいと知って、中3の夏から猛勉強を始めました。無事に第1志望に合格し、大学の先輩に紹介してもらって早速、外務省でバイトを始めたものの、想像していた世界と全く違ったんです。

 外交官は、世界を華やかに闊歩する仕事だと思っていたのですが、アルバイトをしてみると現実はもっと地道で、細かい仕事も多い。それまでずっと自分が抱いていたイメージとのギャップに、当時18歳だった私は、なんて世間知らずだったのかとたたきのめされました

 そこは、佐々木さんにとって 「人生の迷路」の入り口だった。

「何となく」就活する

 世間知らずを痛感しながら、迎えた就活。「社会見学」と捉え、あらゆる業種の企業説明会に参加した。その中で、日銀だけが何をしている組織なのかはっきりせず、逆に興味を引かれた。

 しかも、他の企業と違って中途採用がなく、日銀は新卒じゃないと入れない。「日銀に入ったら親が喜ぶかなぁ」という気持ちもあり、受けてみることにした。「でも、『何となく』決めてしまった。偶然にも、その年の採用基準が『多様性』で、面接にTシャツとジーパンで来た男子が採用されるなど、通常の基準ではなかったこともあって、私も何とか合格をもらえたのですが……」

佐々木さんの大きな失敗は、27歳でヨーロッパにMBA研修に行ったとき。そこで出会った海外エリートたちに囲まれて…
佐々木さんの大きな失敗は、27歳でヨーロッパにMBA研修に行ったとき。そこで出会った海外エリートたちに囲まれて…