何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで…「失敗だらけの道」を歩んでいるかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、華々しいキャリアを持ちながらも、失敗のたびに引きこもり、膝を抱えて泣いていた、チェンジウェーブCEOの佐々木裕子さん(46歳)。39歳でシングルマザーになり、創業と子育ての両立に悩んだ時期があるという。

(上) 海外エリートの洗礼受け挫折 怖気づくと思い出すあの日
(下) 発熱の娘を残し海外出張「もっと大事なことが…」と帰国 ←今回はここ

 東京大学法学部を卒業後、日本銀行に4年半、マッキンゼー・アンド・カンパニーに9年近く勤務し、2009年に「企業の変革デザイナー」としてチェンジウェーブを創立した佐々木裕子さん(46歳)。2016年には、介護に関するコンサルティング業務も行うリクシスも設立して活躍の場を拡大し、その間に念願の出産もした。

世界エリートの洗礼受け挫折 怖気づくと思い出すあの日」(上) では、会社員時代の失敗について聞いたが、今回は起業後、仕事と育児を両立しようとして失敗した経験に迫る。佐々木さんは、「海外出張中にスタッフの前で号泣して、日本に緊急帰国したこともある」という。

「ベターな生き方」を選んだ20代

 20~30代前半、やりたいことが明確にないまま『何となく』仕事を続けてきた佐々木さんが、30代半ばで起業しようと思ったのは、「自分で望むものは自分でつくるしかないんだ」という気づきを得たから。

 「それまでの私は、目の前に与えられた仕事やポジションの選択肢の中から、どれが一番いいか、ということを考えてきたんです。稼ぎを優先するならA、やりがいならB、世間体がいいのはC、みたいな感じで。ただ、そのやり方だと自分が心底納得するものは手に入らないんですよね。必ずどこかに妥協があって、ベターを探す作業でしかないから」

「やりたいことが見つからず、何となく潮時だと思って安易に仕事を辞めた後、元同僚の先輩に『思慮が浅い』と叱られることもありました」
「やりたいことが見つからず、何となく潮時だと思って安易に仕事を辞めた後、元同僚の先輩に『思慮が浅い』と叱られることもありました」

 「『人生を懸けてやりたいことは?』の問いに自分で答えがずっと見つからず、悩んでいました。そして、あるとき『自分にとってのベストは自分でつくるしかない』と気づいたんです。その気づきこそが、私にとって一番大きな世界観の変化でした。腹をくくることができた瞬間でもあります」

今回は、起業後、シングルマザーになり、「出張中に娘が病気で運ばれた」ときの失敗について聞いた
今回は、起業後、シングルマザーになり、「出張中に娘が病気で運ばれた」ときの失敗について聞いた