キャリアと妊娠のはざまで揺れた20代後半

 幼少期から「ずっと誰かに認められたかった」と話す山川さんの原点は3歳まで遡る。大手民放局のアナウンサーだった父が突然退職し、家族でワゴン車による放蕩(ほうとう)生活を始めたのだ。その後、関東近県の古民家で暮らし始めるが、なかなか地域のコミュニティに受け入れられなかった。

 当時は家庭の方針で、自給自足や化学製品をほとんど使わないオーガニック生活を送るなど「都会から来た風変わりな家族」として見られていた。山川さんはできるだけ普通でいようと努めるも、中3まで「真っ暗闇の中にいるようだった」と振り返る。

 「自分の何がみんなと違うんだろうと悩み続け、早く地元から出たくて、違う地域の高校へ進学。ずっと人間関係で孤独を感じていたので、『私はちゃんとしている人』だと周囲に認められたくて、勉強も部活もすごく頑張りました。大学入学後もサークルを立ち上げるなど積極的に活動。就職活動では、いよいよ社会人になれる! と意気込んで臨みました」

「父は退職後、フリーアナウンサーをしながら環境問題に対する講演活動などを行っていました。移住先では会社員でない父を不思議がる人が多く、私自身も社会に問題を訴えるだけでは世界は変わらないという思いがありました。いつしかその自然との共生や父の活動とは裏腹に、私はビジネスで社会を変えたいと考えるようになりました。何者かになりたかったんです」
「父は退職後、フリーアナウンサーをしながら環境問題に対する講演活動などを行っていました。移住先では会社員でない父を不思議がる人が多く、私自身も社会に問題を訴えるだけでは世界は変わらないという思いがありました。いつしかその自然との共生や父の活動とは裏腹に、私はビジネスで社会を変えたいと考えるようになりました。何者かになりたかったんです」

 結果、8社から内定を獲得。一番興味のあった、人事の仕事ができる人材教育系コンサルティング会社に入社した。創立2年目のベンチャー企業で自由度が高く、入社当日から張り切って残業。1年後、チームリーダーに抜てきされ、会社の前にあるマンションを購入するほど仕事にのめり込んだ。

 「当時は『自分が社長』のマインドで働いていました。人事は人の人生に影響を与えられるし、仕事は頑張れば結果が出る。楽しいし、やりがいもあるし、会社に骨をうずめるつもりでした。24歳で結婚後もキャリア志向が強かった私は、まだまだ働かなきゃ、妊娠なんてとんでもないことだと思っていたんです。でも、27歳で妊娠したときは、赤ちゃんへの愛情が芽生えたし、うれしかった」

 ところが、妊娠が分かった1カ月後、流産してしまう。自分を責め続ける日々を送る中、山川さんは仕事に復帰できなくなってしまった。