一人旅で吹っ切れ、CRAZY WEDDING創業へ

 この旅の経験が活力となり、帰国後しばらくして、山川さんはこれまでぼんやりと描いていたウエディング業界で事業を興す決意をした。

 「業界は違うけれども、夢だった自分の結婚式での経験もあって、ウエディング業界の在り方に疑問を抱いていました。一生に一度のすてきなイベントなのに、一般的な結婚式はほとんど形が決まっていて、事務的にさえ感じられることもありました。この素晴らしい機会をもっといいものにできるはず、カップルが本当に望んでいるコンテンツリッチなものにできないかと考えたんです。やってだめなら、そのときはそのときだ、と覚悟を決めました」

 こうして2012年、CRAZY WEDDINGを創業。山川さんは再び、無我夢中で走り出した。顧客の要望すべてに応えようとするあまり、現実的な問題を考えずに進めてしまい、当日失敗してしまうこともあった。採算度外視の傾向が強くなり、創業からしばらくはほとんど利益が出なかった。

「CRAZY WEDDINGは夫の森山和彦が経営をサポートし、私が現場の事業全般を担当する形でスタートしました。スタート時のメンバーも実行力があり、馬力のあるチームでした」
「CRAZY WEDDINGは夫の森山和彦が経営をサポートし、私が現場の事業全般を担当する形でスタートしました。スタート時のメンバーも実行力があり、馬力のあるチームでした」

 しかし、当時の「自分の個性を表現したい」という潮流とSNSが後押しし、今までと見た目も内容も全く違う結婚式のスタイルは業界内外から早々に注目を浴びるようになった。創業1年足らずで、広告費をかけなくとも月100件以上の問い合わせが来るまでに成長。気づけば、会社は年商15億円、社員数は100人に近づこうとしていた。ウエディング業界に革命を起こした起業家として、山川さん自身にも注目が集まるようになった。

 そんなとき、TBSのドキュメンタリー番組「情熱大陸」出演の話が舞い込む。山川さんが「いつか出たい」と周囲に言い続けてきた、憧れの番組だった。プレッシャーを感じたものの、夢が実現するとあって、出演を承諾。放送後は大きな反響があった。ところが、この夢の番組への出演が、山川さんを追い詰めていった。

 後編「山川咲 注目度が高まりメンタル限界に 夫婦経営も失敗」へ続く

取材・文/高橋奈巳(日経xwoman doors) 写真/吉澤咲子

下編「山川咲 注目度が高まりメンタル限界に 夫婦経営も失敗」では、次のストーリーを展開

■憧れのテレビ番組出演で自分の力量を思い知った
■育児に手を抜けなかった
■悲しみも苦しみも味わい尽くすことが人生の幸せ