今日を一生懸命やらなければ明日は来ない

 アシスタントプロデューサーとして下積みをしていた頃、ある出来事がきっかけで小林さんは怒られたことがある。

 「プロデューサーのアシスタントとして、言われたことはきちんとやっていましたが、それ以上のことは全然できていなかったんです。例えば、空き時間があればすぐ頭の中で『あの台本、私だったらこう読むな』と演出のことを考えてしまう。プロデューサーとしての意識が低かったんですよね。そしたらある日、チーフプロデューサーに見透かされてしまって、こっぴどく怒られました

 当時のプロデューサーアシスタントの仕事はハードで、小林さんの休みは、3カ月に1回あるかないか。毎日ブログ更新や資料作りに追われ、朝5時まで作業をする日もあるなど、多忙を極めていた。

 「それで、忙しさを理由に『できたらやって』と言われた仕事をやらなかったんです。そうしたら気持ちが入っていないことがバレてしまって。今思うと『できたらやって』は、やらなきゃいけないことだった」

「当時から私は、良くも悪くも作業を器用にこなせてしまったため、言われたことをちゃんとやりさえすればいいと思っていたんです」
「当時から私は、良くも悪くも作業を器用にこなせてしまったため、言われたことをちゃんとやりさえすればいいと思っていたんです」

 ガツンと怒られたことで小林さんは気づいた。「どんな仕事でも半端な気持ちでやっていては次につながらない。今日を一生懸命やることでしか、明日は来ないんだと痛感しました」

「いつか、男性社会の演劇界を変えたい」

 その出来事がきっかけで、プロデューサーという仕事を続ける決心をした小林さん。

 「シアタークリエ(東京・千代田)がオープンしたのは2007年の11月でしたが、3年前くらいからその準備が始まったんです。当時の私は27歳くらい。この仕事を全うしなければ次に進むことはできない、とプロデューサーとして、シアタークリエをオープンさせることを目標にしました」

 シアタークリエは、日比谷の芸術座の跡地に東宝が建てた劇場だ。

 「老舗の東宝が芸術座の路線を改め、若い世代に向けたミュージカルをやる。しかも支配人もプロデューサーも女性を登用し、男性社会だった仕組みを変えようという新しい試みに挑戦する中で、『私も役に立てる!』とモチベーションが上がったことも、プロデューサーを続けた理由の一つです」

 それは、「いつか男性社会の演劇界を変える」というチャンスが巡ってきたときでもあった。