何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで…「失敗だらけの道」を歩んでいるのかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、元テレビ東京の人気アナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活躍している秋元玲奈さん(36歳)の失敗図鑑(下編)です。

(上)秋元玲奈「かわいくない新人」「使えない」経てエースへ
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入社9年目、夢の仕事をつかむ

 テレビ東京の人気アナウンサーとして約13年間、活躍してきた秋元玲奈さん。人とのコミュニケーションに苦手意識のあった新人時代を経て、スポーツキャスターとして活躍。2016年にリオデジャネイロオリンピックのキャスターを担当し、着実にキャリアを積み重ねていった。

 オリンピックのキャスターといえば、スポーツ番組を担当するアナウンサーにとっては憧れの大仕事。入社9年目でそのチャンスをつかんだ秋元さんは、当時をこう振り返る。

 「リオデジャネイロオリンピックでの仕事は、自分のキャリアの集大成のつもりで臨みました。4年前のロンドンオリンピックから自信もついていましたし、生放送のプレッシャーをものともせず、精神的な余裕もありました。特にオリンピックは時間通りに進行するのが難しいので、リポートで番組をつなぐ、ハプニング時に臨機応変に対応するなど、アナウンサーの腕が問われます。台本もありませんが、私は『ハプニング、ウエルカム』といった感じでした。どんなことが起こっても『任せて下さい』と言えるぐらい、自分を信じられたんです」

 こうして挑んだリオデジャネイロオリンピックの仕事は大成功を収め、社内でも大きく評価された。

 新人時代から長い間、インタビュー能力の不足に悩んでいたが、先輩から学んだり、陰での努力を続けたりしたことで、いつの間にかスキルアップしていたのだ。

 リオデジャネイロオリンピックキャスター抜てきの前にも、秋元さんは自身の変化を実感していた。それは東北楽天ゴールデンイーグルス(以下、楽天イーグルス)の監督だった故・星野仙一さんとのやり取りでのことだった。

秋元玲奈さんの「失敗年表」