人に対して固くなっていたアシスタント時代

 ある日、イガリさんは師匠のアシスタントとして、人気歌手AIさんのプロモーションビデオの撮影現場に同行した。そこで初めて目にしたAIさんの立ち居振る舞いに大きな感銘を受けた。

 「AIさんは、現場に入るとすぐに、スタッフ全員に話しかけていたんです。アシスタントに対しても『元気?』『今日もよろしくね!』と、とてもフレンドリーでした。私は当時、人に対して固くなってしまうところがあって、大人数の現場でも、自分が関わる部門の人としか話せなかった。それまでの私は、知らない人のことまで気にかけたことはなかったんです。

 でも、AIさんが誰に対しても分け隔てなく、明るく話す姿を見て、『私もそういうふうになりたい』と思いました。自ら働きかけることで人は集まってくるし、信頼関係を築ける。この出会いによって、私自身の人との接し方、コミュニケーションに対する考え方が大きく変わりました。きっとどこの現場でも『暗い人』は求められない。私もいつも明るく振る舞おう、周りの人を大事にしていこうと思ったんです」

「ある撮影で、集合時間にモデルが来なくて、マネジャーの代わりに家まで見に行ったこともあります。メイク以外にもさまざまな役割を求められていました」
「ある撮影で、集合時間にモデルが来なくて、マネジャーの代わりに家まで見に行ったこともあります。メイク以外にもさまざまな役割を求められていました」

 イガリさんの明るく、気さくな人柄は多くの人を引きつけ、1年後、ヘアメイクアップアーティストとして独立、BEAUTRIUMに所属した。25歳のときだった。

 「独り立ちした後も、たくさん失敗していましたよ。よく覚えているのは、米国のセドナでのロケ撮影。屋外にメイク道具を準備している状態でカフェに行ってしまい、戻ってきたら暑さでコスメが溶けていたんです。その日のメイクのポイントにするつもりだったカラーペンシル類が使えなくなってしまい、もう、真っ青になりましたね。撮影では溶けなかったパウダーアイシャドウなどを代用してなんとか乗り切りましたが、準備が甘かったと猛省。事前にロケ先の気候を調べておくことも必要だと学びました」

 その後、人気モデルの梨花さんをはじめ、多くの芸能人やタレント、モデルのメイクを担当。やがてさまざまな美容雑誌から相次いでオファーが来るようになった。中でも、36歳のときに考案した「おフェロメイク」(ほおと口元の血色感を強調した色気のあるメイク)は、若い女性の間で大ブレイク。ブームが落ち着いてからも「イガリメイク」としてSNSなどで注目を集め、イガリさんは人気ヘアメイクアップアーティストとして存在感を高めていった。