何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで…「失敗だらけの道」を歩んでいるのかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、米ブルーボトルコーヒーの社外アドバイザー、インフロレッセンス代表として活動中の井川沙紀さん(42歳)の失敗図鑑(上編)です。

(上)元ブルーボトル取締役井川沙紀 転職活動で30社不採用 ←今回はここ
(下)35歳でブルーボトルコーヒー取締役 マネジメントに壁

米国生まれのコーヒーブランド「ブルーボトルコーヒー」の日本ローンチを担当し、その後、ブルーボトルコーヒージャパンの代表、アジア代表を経て、米国本社の経営メンバーとしてブランドの統括責任者を務めるなどグローバルに活躍してきた井川沙紀さん
米国生まれのコーヒーブランド「ブルーボトルコーヒー」の日本ローンチを担当し、その後、ブルーボトルコーヒージャパンの代表、アジア代表を経て、米国本社の経営メンバーとしてブランドの統括責任者を務めるなどグローバルに活躍してきた井川沙紀さん

帰国子女がコンプレックス 日本で働くつもりだった

 2014年から米国生まれのコーヒーブランド「ブルーボトルコーヒー」の日本ローンチを担当し、その後、ブルーボトルコーヒージャパンの代表、アジア代表を経て、米国本社の経営メンバーとしてブランドの統括責任者を務めるなどグローバルに活躍してきた井川沙紀さん

 現在は独立し、自身の会社インフロレッセンスの代表として、ブルーボトルコーヒーの社外アドバイザーの他、日系、米国系の企業を中心にブランディングやコミュニケーション戦略のコンサルティングを行っている。

2015年、東京・清澄白河にブルーボトルコーヒーの日本1号店となるカフェがオープンし、今年で日本上陸7年目を迎えた(写真/ブルーボトルコーヒージャパン提供)
2015年、東京・清澄白河にブルーボトルコーヒーの日本1号店となるカフェがオープンし、今年で日本上陸7年目を迎えた(写真/ブルーボトルコーヒージャパン提供)

 「自分がグローバル事業に携わるなんて想定外だったんです」と言う井川さんは、中1の夏から中3の夏まで、親の仕事の都合により米国で暮らした経験を持つ帰国子女。当時、米国の学校でコミュニケーションに悩み、それ以来、帰国子女であることが小さなコンプレックスだった

 「まったく英語ができない状態で現地の学校に入ったので、同級生との会話はほとんどジェスチャー。友達はできないし授業は理解できないし、しばらくの間は本当につらかった。必死で英語を学び、身に付けて帰国しましたが、今度は日本語がスムーズに話せなくなっていて。漢字はほとんど忘れていたし、英語の授業では発音の手本として期待されたのも嫌でしたね。だから海外にはあまり良い思い出がなく、高校、大学時代はずっと日本に住んでいたいなぁと思っていたんです」

 自分なりに無理をせず働きたいと考えていた井川さんの転機は20代の半ば。そして、20代後半にある失敗を通じて価値観が大きく変わったそうだ。