28歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)の助教、32歳で東京大学特任准教授、33歳で東京芸術大学デザイン科准教授に就任……とキラッキラな人生を歩んでいるかに見える、アーティストのスプツニ子!さん。「20~30代の働く女性同士、共有したいことがいっぱいある!」とのこと。さあ、スプツニ子!さんのお部屋へようこそ。ゆっくりお話ししましょ。

「女性というテーマを捨てろ」と言われたことがあるんです、私

 「生理マシーン」という作品を作っていた20代前半のときから、「ジェンダーとテクノロジー」が自分の制作の大きなテーマでした。

 「女性の生理や妊娠・出産が、なぜ原始時代からほとんどテクノロジーでアップデートされないんだろう?」「ピルとバイアグラの承認に要した時間の大幅な違いなど、テクノロジーの進歩にジェンダー格差が生まれるのはなぜだろう」 ――。そういったことを考えながら「生理マシーン」を作ったんですが、卒業制作展で展示したら一気に広がって。そのあとニューヨークのMoMAで展示して、MITにも助教として採用されて、世界が広がっていきました。

 今でこそ自分の表現の根源的な問いが「ジェンダーとテクノロジー」とはっきり言えるんですが、当時はまだそのことにはっきりと気づいていなくて、「スペキュラティブ・デザイン(問題提起するデザイン)」という文脈の中で制作に取り組んでいました。その過程で、ゲノム編集の未来など、ジェンダーに直接関係しないテーマも多く扱ってきました。

 ただ、そのスタンスが自分の中でどこかぴったりはまらないと思うときもあって。一方で「女性の問題をテーマとして扱うことはニッチだ」みたいなアートやテクノロジー界の空気感もありました。本当にメディアアートの世界って男性がすごく多くて、フェミニズム的な作品は少なかった。どのメディアアート展に行っても、光がピコピコ光ったり、カメラに向かって手を振ると浮いたり飛んだりする、ちょっと退屈な作品ばかりでした。

 そんなころ、忘れられないことが起こりました。

 とある50代の尊敬する男性デザイナーの先輩から、「スプツニ子!さんはすごく才能があるし、いろんなことをできるけど、女性というテーマを離れて作品を作ったほうがいいんじゃないか」と言われたんです。彼は世界的なデザイナーで、すごくすてきで、頭がいいし、リベラルだし、プログレッシブ。みんなから慕われていて、私も心から尊敬していました。何かに悩むと真っ先に聞きたいのは彼のアドバイス、というくらいの存在。そんなすてきな方からふと「女性というテーマを離れたほうがいい」と言われた。

 それと似たことはそれまで色々な人に言われたことがあったんです。「女性というテーマは面白いけど、もっと大きなテーマを……」「女性とかいう限られたテーマじゃなくて、もっと普遍的なテーマを……」とか。そういう空気感にまみれていたから、自分でさえ「そうなのかな」って思っちゃったことがあって。

 「あ~そうなんだ」と素直に受け止めて「女性に関わるテーマ以外に、自分が取り組むべき『壮大なトピック』って何なんだろうな」って、考えてみたんです。尊敬する先輩に指摘されたことが悲しいというより、「困ったな。私がずっと取り組んできたこのテーマは、世の中ではニッチなのか」って。そのもやもやを抱えたまま数週間経って、ようやくピンときた。

 「女性はニッチじゃねえ!!!!!!!!」って。

 これまでアートもテクノロジー界も男性ばかりだったから、女性視点の作品が殆ど作られてこなかっただけ。女性としての問題意識は、彼らにとって「ニッチ」でも、人口比率的にはマジョリティ。それが「ニッチ」と呼ばれること自体が大きな問題で、だから私がこのテーマで制作することに意味がある!

 その後、私は先輩に自分の思ったことを素直に話しました。