28歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)の助教、32歳で東京大学特任准教授、33歳で東京芸術大学デザイン科准教授に就任……とキラッキラな人生を歩んでいるかに見える、アーティストのスプツニ子!さん。「20~30代の働く女性同士、共有したいことがいっぱいある!」とのこと。さあ、スプツニ子!さんのお部屋へようこそ。ゆっくりお話ししましょ。

ちゃんと考える時間がないほど働きづめの日々

「思っていることを、洗いざらい話していきたいと思います!」(スプツニ子!)
「思っていることを、洗いざらい話していきたいと思います!」(スプツニ子!)

 日経doors読者の皆さん、こんにちは。アーティストのスプツニ子!です。中には、≪生理マシーン、タカシの場合。≫や≪ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩≫などの作品を通して、既に私の存在をご存じの方もいるかもしれません。

 私はアーティスト活動以外にもこれまでアメリカや日本の大学で教べんをとってきていて、28歳の時にマサチューセッツ工科大学(MIT)の助教に就任後、32歳の時に東京大学特任准教授、33歳で東京芸術大学デザイン科准教授に就きました。

 ……こういう風に書き始めると、なんだかキラキラな人生を歩んでそうと思われることもあるんだけど、実際は32歳の時に、私的に超ハードな「どん底」を経験していました。これからする話で、みんなに嫌われたりしないかな。共感してもらえる自信も正直そんなにない。他人からすれば全然どん底には見えないかもしれないし。でも、まぁ、洗いざらい話していきたいと思います!

 私にとっての20代って、何に対してもがむしゃらな時期でした。

 若さとエネルギーがあるんだけど、自分が本当にやりたいことなんて明確につかめないまま、全方位において頑張ってしまうーー。身に覚え、ありませんか? とにかく私はそんな感じで、与えられたチャンスを全部つかみにいく勢いで、前のめりで全力疾走していました。

 そんなこんなでMITで助教のポジションをいただいて、アメリカのボストンに渡ってみたところ、その先でやっぱりいろいろなチャンスに巡り合い、様々な人に会って、いろんなお誘いを一気に受けました。そして「食わず嫌いはよくない」と思って全部やってみた結果、すっごく成長できたけど、さらに忙しくなってしまって

 自分のテーマをコツコツと追求し続けて、40代後半でやっと花開いた……というキャリアとは違って、私の場合、無名の若手時代に作った作品で突如として注目を浴び、そこから色々な機会やオファーを受けまくった結果、アメリカでふと「自分が本当にやりたいことって何なんだろう?」って思ってしまったのです。