到着した日に一文無しに 必死で探したアルバイト先

山田 空港に着いてパリ市街に行くまでの電車の中でスリに遭い、一文無しになったんです。すぐにでもアルバイトをしなければ生活できない状況でした

――到着したその日にそんな被害に逢うなんて、想像しただけで心が折れそうになります。それでもなんとかパリでの生活をスタートさせたんですね。

山田 そこで泣き付いたのが、大学で出会った友人です。フランス語を教わりながら「日本語ができます。どんな仕事でもするので雇ってください」と手紙を書き、履歴書を添えて20社に送りました。その結果、あの高級ブランド「グッチ」が唯一面接してくれたのです。肩書もお金も無い、最悪の状態のときに付き合ってくれる友人や、手を差し伸べてくれる人こそ「本物」だと感じました

「留学初日にスリにあい、いきなり一文無しになりました」
「留学初日にスリにあい、いきなり一文無しになりました」

――グッチでアルバイトなんて、すてきです!

山田 最初はストック係で地下の暗闇の中、ひたすら在庫を整理していました。グッチでアルバイトできたことが、とても大きな財産になったと思います。もともと自分は、「みんなと仲良くなりたい」という気持ちを強く持っているんです。洋品店で生まれ育って、店の上に家があったので、小さい頃からお店に出ていたからというのもあると思います。学生時代も誰かが一人でご飯を食べていると放っておけない。だからグッチでもアルバイト仲間はもちろん、警備会社から派遣されているドアマンも含めてみんなと仲良くなりました。

――このときグッチのアルバイト仲間から影響を受けましたか?

山田 すごく受けました。彼らと飲みに行ったときに言われたんです。「なんで日本はメード・イン・チャイナのモノがあふれているのか?」って

 もともとはフランスと日本は近い。彼らにチーズがあるように、僕らには味噌がある。彼らにワインがあるように、僕らには日本酒がある。文化的なものが近い。それなのに日本は急にメード・イン・チャイナになったのか。織りとか染めとか800年の歴史を全部捨ててしまったのかと言われたんです。頭をぶん殴られたような衝撃を受けましたね。

 フランスはモノづくりをとても大切にします。1本のシャンパンをつくるにも、どんな土地で、つくり手は誰か、物語がある。そこにこそ価値があり、皆、それにお金を払う。ただ、日本は昔から大切にしてきたつくり手の歴史や背景、物語などを捨ててしまって、とにかくモノを安く売るという方向に行ってしまっているなと。いつか、メード・イン・ジャパンのつくり手の思いが込められたファッションブランドを立ち上げたいと思いました。