まずは会社員として修業

――今の事業につながる思いを抱けた留学生活はとても有意義だったんですね。

山田 いや、でもつらいことばっかりでしたよ。まず、勉強したはずなのにフランス語の授業は理解できない。毎日教授の話をテープに録音し、家に帰って聞き直して勉強するということをしていたので、3時間の授業でも自宅で10時間くらいかけて読み解いていました。それに、生活していた寮に空き巣が入ったこともあります。目が覚めたら、部屋の中で男女3人のグループがモノをあさっていたことも……。このときアルバイトで大学の冊子に留学体験記を書いていたのですが、あまりに信じられない事件が続くのでみんな「ウソだろ」と思ったはずです。

――本当に波乱万丈の留学時代でしたね! そして帰国されて、就職活動をされます。すぐに事業を始めたわけではなかったのですね。

山田 大学卒業後は、何かと理由をつけて起業を避けていました。日本発のファッションブランドを作りたいと思っていたものの、工場も知らなければ資金もない。「会社員になり、東京で数年間修業をして、実家が営んでいる洋品店を継ごう」と軽く考えていました。

 そして、転職サイトを運営するベンチャー企業に就職しました。大手を選ばなかったのは会社の名前で仕事ができるような企業に入ってしまったら、自分の本当の実力が付かないと思ったからです。営業部で順調に昇進し、給料も十分にもらっていました。そのまま会社員を続けるという選択肢もありましたが、ふと「いずれ家業を継ぐなら後進に道を譲り、自分は次の居場所を探さないといけないのではないか」と思い、アパレル業界に飛び込む決意をしました。

「大学卒業後は起業を避けていました」
「大学卒業後は起業を避けていました」

 2番目に就職したのは、「東京ガールズコレクション」の公式通販サイトを運営していた会社です。しかし、異業種からの転職だったため正社員にはなれず、アルバイトからの再出発。月給は14万円程度に激減しました。ご祝儀が払えないため友人の結婚式は泣く泣く欠席、昼食は自分で作ったチャーハンやら焼きそばやらを持っていって食べ、コンビニエンスストアに行ってもガム一つ買えない日々が続きました。

――いきなり給料が減ってしまい、不安ではなかったですか。