目標に向かってたゆまぬ努力をつづけたオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きすぎるプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさんあります。本連載ではそんななか彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを伺います。今回登場するのはフィギュアスケート五輪元日本代表の鈴木明子さん。ライバルの出現や試合へのプレッシャーから摂食障害を患ってしまうことに。再びリンクに立って日本代表と選出されるまでどのような足跡をたどったのかを伺いました。
日経doors編集部(以下、――) 6歳でフィギュアスケートを始め、15歳で日本選手権で4位入賞にして将来が有望視されましたが、大学1年生のときに摂食障害を患い、競技から離れてしまいました。
鈴木明子さん(以下、鈴木) 20歳で迎えるトリノ五輪を目指し、高校卒業後は実家を離れて宮城県仙台市の東北福祉大学に進学しました。親元から離れての初めての一人暮らし。自炊をして自己管理を徹底しようと思っていたのですが、思う通りに自炊できないなど食事管理がうまくいきませんでした。完璧主義者なので、食生活すらコントロールできない自分に腹立たしさを覚え、コンプレックスも抱き、いつしかスケートを上達させるという目的が、「体重を管理したい」にすり替わっていきました。
―― 体重を管理したいのは、特にジャンプの精度を上げるためだったのでしょうか。
鈴木 安藤美姫さんや浅田真央さんはトリプルアクセルや4回転ジャンプを飛んでいたので、彼女たちと勝負するためには、人一倍努力する必要がありました。高く跳ぶには体重が軽い方がいいし、体形も外国人選手と比べるとコンプレックスがある。女性らしい体型になってくる頃から、女子選手は体重管理が難しくなります。「太ってはダメ」という気持ちが強くなり、数字ですぐ結果が分かる体重に執着していきました。
「痩せている=頑張っている」という思考になり、痩せればコーチや周囲に自分を認めてもらえると思っていたんです。本来ならしっかり食べて練習して筋力と体力をつくるべきアスリートが、知識もないまま、食べないという間違ったダイエットを選択してしまった。
―― 間違ったダイエット……。その結果、どのような変化がおきたのでしょうか。