目標に向かってたゆまぬ努力をつづけたオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きすぎるプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさんあります。本連載ではそんななか彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを伺います。今回はフィギュアスケート五輪元日本代表の鈴木明子さん。後半では摂食障害克服後、五輪によるプレッシャーとどう向き合い、結果につなげたのかを聞きました。

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バンクーバー五輪後燃え尽き症候群に

日経doors編集部(以下、――) 前編の「鈴木明子 摂食障害に苦しんだ過去 母の一言で救われる」ではプレッシャーから摂食障害に陥り、どう克服したかを伺いました。その後、2010年のバンクーバー五輪で8位入賞されましたが、バーンアウト(燃え尽き)症候群になってしまったそうですね。

鈴木明子さん(以下、鈴木) 摂食障害で競技から一時離れ、代表から外れた状態から最大の目標だった五輪を目指しました。切符を勝ち取り、8位入賞で戦いを終えたときは、ここまでこられたことがとてもうれしくて、これで自分の五輪は終わったと思いました。

 その一方で、せっかく選手として軌道に乗れたのに、ここで終えるのももったいない、まだ現役でいたいという気持ちもありました。すぐ次の4年後を目指す気持ちにはなれなかったけれど、応援してくださった方々の期待に応えたかったし、1年単位で頑張って自分が満足できる演技ができれば引退すればいいと思いました。

鈴木明子さん
鈴木明子さん
1985年愛知県生まれ。6歳でスケートを始め、15歳で全日本フィギュアスケート選手権4位。18歳で摂食障害を患い、体重48kgから32kgに。2004年復帰、06~07年ユニバーシアード冬季競技大会優勝。09~10年グランプリシリーズ中国杯優勝。バンクーバーオリンピック8位入賞。12年世界フィギュアスケート選手権で、日本人最年長27歳で銅メダル獲得。14年ソチオリンピック個人8位。現在プロフィギュアスケーターなど多方面で活躍。著書に『ひとつひとつ。少しずつ。』(KADOKAWA)。

 五輪の1カ月後の世界選手権に向けて、ほぼ休養を取らずに練習を再開したのですが、やる気が起こらず、何も考えたくないといった感じで練習に集中できない日々が続きました。休めばいいと思われる方もいると思いますが、コーチも休まずに他の選手を見ているし、しかも練習を3日休むと本来の滑りを取り戻すのに1週間はかかると幼い頃から言われていたので、休みたいと言いだす勇気がなかったんです。

 でも、あまりにもやる気が出ない状態にこれではいけないと思い、勇気を振り絞ってコーチに「2泊で沖縄に行ってきます」と伝えました。逃避行です(苦笑)。これですっきりリフレッシュできたわけではないですが、やはり積極的な休養は大事だと思いました

―― どのようにバーンアウト症候群から抜け出せたのでしょうか。