目標に向かってたゆまぬ努力を続けるオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きなプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさんあります。本連載ではそんななか彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを伺います。今回登場するのは元競泳五輪日本代表の松田丈志さん。前編ではスポンサー探しに苦しんだ過去、銅メダルを獲得後、32歳でリオ五輪に挑戦するか思い悩んだ日々について伺いました。
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下 松田丈志 ノート公開! 書いて悔しい思いを目標に変えた
北京五輪後スポンサー探しに明け暮れた1年
日経doors編集部(以下、――) 「ビニールハウスプールのヒーロー」と故郷・宮崎での練習環境から世界で戦う姿が注目され、バタフライ選手として3大会連続で五輪に出場し、メダルも獲得されました。2012年のロンドン五輪では日本代表チームのキャプテンを務められ、どんなときも冷静な姿が印象的でしたが、選手人生の中で最も精神的につらかったときはいつでしょうか?
松田丈志さん(以下、松田) 2つあります。1つは、2008年の北京五輪200mバタフライで銅メダルを、そして2009年のローマ世界選手権でも銅メダルを獲得した後です。同年に起こったリーマン・ショックで、約1年間スポンサーが付かず、人づてにつながった企業を中心に、事情を話して頭を下げて回ったものの契約には至りませんでした。
焦りと不安でロンドン五輪に覚悟が持てない
人生のほとんどを競泳に費やしてきたのに、五輪や世界選手権でメダルを獲得してもスポンサーが付かないのかとがくぜんとしました。競技でタイムが伸びないという悩みではないので、つらいというより、自分だけではどうにもならないというもどかしさがありましたね。スポンサーが付かないと不安は募り、次のロンドン五輪に向けての覚悟が持てないし、集中しきれない。ものすごくハードな練習でも、何が何でも五輪でメダルを獲得したいという明確な目的意識が強いほどやり切れるものですが、あのときは途中で練習をやめてしまうこともありました。
―― そんな時期をどうやって乗り越えたのですか?