目標に向かってたゆまぬ努力を続けるオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きなプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさんあります。本連載ではそんななか彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを伺います。今回登場するのは元新体操五輪日本代表の畠山愛理さん。前編ではケガに苦しみ、新体操を辞めようと思った過去、そしてその苦しい時代をどう乗り越えたかを聞きました。

上 畠山愛理 引退を考えた過去 好きな新体操が大嫌いに ←今回はここ
下 畠山愛理 厳しい自己管理経て40年ぶりのメダル獲得

畠山愛理さん
畠山愛理さん
1994年東京都生まれ。日本女子体育大学卒。6歳で新体操を始め、小学校6年生のときに全国大会で入賞。中学3年のときに受けたオーディションで合格して日本代表(フェアリージャパン)になる。ロンドン五輪7位入賞、リオデジャネイロ五輪では8位入賞。2015年の世界新体操選手権団体種目別のリボンで日本では40年ぶりとなる銅メダルを獲得。16年に引退し、スポーツコメンテーターやモデルなどの活動を行う。プライベートでは昨年、広島東洋カープの鈴木誠也選手と結婚した。

中学2年のときに経験した挫折

日経doors編集部(以下、――) 中学3年のときに最年少で新体操日本代表(フェアリージャパン)入りを果たし、ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪団体で入賞。2015年の世界新体操選手権団体リボンでは、40年ぶりの銅メダル獲得に貢献されました。そもそも新体操を始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

畠山愛理さん(以下、畠山) 幼い頃から両親がバスケットボールや水泳などさまざまな習い事を体験させてくれて、その中で一番楽しかったのが新体操だったのです。すぐに夢中になって習った翌年には全国大会に出場していました。小学6年生のときに全国大会で6位になって、漠然とですが「五輪に出場したい」という夢が持てました。

―― それで順調に中学で全日本クラスの選手に?

畠山 いいえ。競技人生での1番の挫折というか、ターニングポイントとなったのが、中学2年生のとき。(腰の骨に負担がかかり痛みやしびれが生じる)腰椎分離すべり症が悪化し、親と相談して全国大会の出場を断念したのです。

 そのとききちんとしたコミュニケーションが取れておらず、コーチとの間に溝ができてしまいました。当時はコーチからかけられた言葉に毎回傷ついてしまってたのですが、今思うと、若さゆえにすごく敏感で繊細だったんだなと思います