目標に向かってたゆまぬ努力を続けるオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きなプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさんあります。本連載ではそんななか彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを伺います。今回登場するのは元新体操五輪日本代表の畠山愛理さん。後編では代表に選ばれてから厳しい自己管理の日々、世界選手権でメダルを取れるまでを聞きました。
上 畠山愛理 引退を考えた過去 好きな新体操が大嫌いに
下 畠山愛理 厳しい自己管理経て40年ぶりのメダル獲得 ←今回はここ
山崎浩子コーチの声がけで不安が軽減
日経doors編集部(以下、――) 2004年にアテネ五輪の団体出場枠を失った後、元オリンピック新体操代表の山崎浩子さんがフェアリージャパンを率いて、選手たちと一緒に寮生活もともにされました。山崎コーチはどんな存在でしたか?
畠山愛理さん(以下、畠山) お母さんというより、そのとき自分たちに必要な言葉をポンとくれる、お父さんのような存在でした。大事なときに必要な声をかけてくださるんです。例えば、初めて出場したロンドン五輪のとき、メンバーは五輪の舞台を知らない選手たちばかりで緊張していました。
そのとき先生は「このオリンピックの舞台に立てる人なんて数少ないんだから、ビクビクするだけで終わったらもったいないでしょう。出場できるのなら思う存分、緊張も楽しみなさい」「こんな緊張すること、今後の人生で何回あると思う? 緊張を感じられている今は幸せなんだから、マイナスに捉えてはもったいない」などと話してくださった。
不安がスーッと消えて、背中をトンと押してもらえるような先生のその言葉のおかげで開き直れました。ドキドキしてもそれは緊張ではなく、ワクワクしているからだ、思いっきり楽しもうと思えることができた。舞台に立ったメンバー全員同じ気持ちだったと思います。
普段の生活でも、「相手は自分の鏡だから」という先生の言葉も心に残っています。相手に思うことがあれば、まず自分を見つめ直すことで相手も変わるのだと。寮で共同生活をし、チームワークを良くするためにも、すごく大切な言葉だったなと思います。