目標に向かってたゆまぬ努力を続けたオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きすぎるプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさん。そんな中彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを聞く本連載。今回は元バドミントン日本代表の池田信太郎さん。大学生までシングルスの選手として活躍し、社会人になってからダブルスに転向。北京で初の五輪を経験し、4年後のロンドン五輪では潮田玲子選手と混合ダブルスに出場しました。前編では大学時代に一度は諦めかけたバドミントンで五輪出場をつかむまでの話を聞きました。
上 池田信太郎 「思い込み」の鎖を断ち切り、つかんだ五輪 ←今回はここ
下 バトミントン池田 「瞬時に切り替え」でメンタル安定
「思い込み」という鎖を断ち切り、自分の可能性に賭けた
日経doors編集部(以下、――) 5歳からバドミントンを始め、大学生までバドミントンシングルスの選手として活躍後、北京、ロンドンと2度の五輪を経験されました。でも、大学時代は「五輪なんて行けない」と思っていたそうですね。
池田 実は大学に入ってから、1度はバドミントンを諦めかけたんです。北京五輪の前、大学でものすごく頑張ったのに、なかなか強くなれなくて。大学1年生で出場したシングルスでは、春と秋の両リーグで1勝もできず12連敗。日本代表にも入れなかったし、もういいかな、と思ったときがありました。中高の教員免許状を取得していたこともあって、教員になろうと就職活動をしていたんです。
―― 意外ですね。しかし、大学卒業後は日本ユニシスの実業団バドミントン部に入りました。なぜ、再びバドミントンをやろうという気持ちになれたのですか?