シングルスからダブルスへ転向、チャンスをつかむ

―― 自分の可能性を信じられるようになったんですね。その後、練習に対する姿勢など、自分自身に変化はありましたか?

池田 バドミントンは「世界一速い球技」と言われていて、シャトルのスピードは最速493キロと、ギネスブックに載るほど。シャトルを取る感覚、緩急のあるラリーについていくには心と体のバランスを取る必要がある競技です。

 ユニシスでの練習は本当に毎日きつくて。最初はついていくのに精いっぱいでした。バドミントンのテクニックやシャトルに触れる感覚は、他の選手と勝負してもある程度は自信がありましたけれど、もともと体力があるタイプではなかったので、スプリントやウエートトレーニングとか、一生懸命頑張らないと全然勝てなかった。自分の足りないところを自覚してから、すごく変わっていきましたね

―― それから結果がついてくるようになった。

池田 当時、チームの先輩がアテネオリンピックに出場しましたが、私はまだ「本当にオリンピックに出る人っているんだ」といった感覚。憧れですらなかったですけど、社会人になって1、2年目で結果が出てきました。自分でも気づかないうちに、今までやったことがないくらいの練習量をこなし、誰よりも集中して、質の高い練習ができるよう努力しました。そこを意識していると、今まで「強いなぁ、勝てないなぁ」と思っていた選手やチームにもだんだん勝てるようになった。ここでしっかりベースができたので、2、3年目以降は一気に活躍できるようになりました。

―― 社会人になってから種目の異なるダブルスに転向されたのはなぜだったんですか?

池田 日本ユニシスの当時のコーチに「お前はダブルスでいけ」と言われたことがきっかけです。「絶対に強くなるから、もうシングルスはやめなさい」と。2003年当時は、シングルスとダブルスの選手が一緒に練習しているチームが多かったのですが、日本ユニシスでは「分業制」といって、練習メニューが完全に分かれていました。1年目は、シングルスとダブルスも両方やれと言われていたんですけど、コーチがその様子を見た上で判断したのだと思います。

「今までやったことがないくらいの練習量をこなし、誰よりも集中して、質の高い練習ができるよう努力しました」
「今までやったことがないくらいの練習量をこなし、誰よりも集中して、質の高い練習ができるよう努力しました」

―― 種目の転向はすんなり受け入れられたのですか?

池田 ダブルスには2つの役割があって、一方はハードワークをしてポイントを決める、もう一方は戦略を立て、ゲームメイクする役割です。どちらかと言えば、私はゲームメイクが得意だったのですが、自分では「ダブルスのほうが伸びる」とは気づけなかったですよね。本当に大丈夫かな?という気持ちはありましたけど、コーチの言うようにダブルスだけに専念することを決めました。