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オリンピアン 勝つ人のメンタル考

池田信太郎 「思い込み」の鎖を断ち切り、つかんだ五輪

伸び悩んだ大学時代。バドミントンへの情熱を取り戻すきっかけは1冊の本/前編

北京五輪後、目標を見失う

―― ダブルスに転向してからの活躍は目覚ましく、2007年には世界選手権で日本男子史上初の銅メダルを獲得されました。やっぱり、ダブルスは自分に合っていた?

池田 ダブルスは、自分がゲームの組み立てをできれば、代わりにパートナーが点を取ってくれる。決して楽ではありませんが、2人で1点取れるので、頭を使えばもっと勝負できる。パートナーの能力をうまく引き出せば、勝てる点が非常に面白かった。そこが自分に合っていたなと思います。さまざまなパートナーと組みましたけど、うまく相手の能力を引き出したりとか、モチベーションを上げたりするのは、得意でした。

―― すごいマネジメント能力ですね! でも、パートナーとは練習も試合も常に行動をともにしますよね。コミュニケーションで困ったり、悩んだりしたことはなかったんですか?

池田 当時は、年上の先輩と組むことも多かったですけど、必要なことはきちんと話をしていました。一緒にやっていると、先輩の動き方で「今日は負けるな」とか分かるんです。だから、「もっとハードワークして、攻撃を決めてもらわないと」「集中してやらないと意味がないです」とか、結構はっきり言っていました。最短で強くなるために、パートナーも含めて、どうすれば練習の質が上がるのか、いい練習を毎日続けられるのか、そればかりを考えていました。

―― それが2007年の世界選手権において日本史上初の男子ダブルスで銅メダル獲得という結果につながったのですね。その後、日本代表に選出され、男子ダブルスの種目でいよいよ北京五輪出場を果たしました。

池田 多方面からさまざまな形で応援をいただくようになりました。期待されていましたし、私もメダルを取る気で出場しました。北京にはすごくチャンスがあると思って挑んだんですけど、残念ながら1回戦で敗退。それまでオリンピックで勝負するための準備をしてきたし、絶対いい試合ができると思ってたんですけど、結局半分くらいの実力しか出せなかった

―― 悔しいですね。やっぱり、プレッシャーもあったのでしょうか。

池田 ぐっすり眠れないなどのプレッシャーはありましたが、何より、自分の能力、練習してきたものをオリンピックで100%出せなかったこと、満足いく試合ができなかったことが一番悔しかった。応援してくれた方にも応えられなかったし、自分に対して失望しました。北京の後、3カ月くらいは、あまり練習に身が入りませんでした。

―― 北京オリンピックの後は燃え尽きてしまった?

池田 それまで厳しい練習を積み重ねてこられたのは、オリンピックという確固たる一つの目標があったから。どんなにきつくてもそれがあったから一生懸命頑張れた。目標がないと、こんなにも人ってきついことができなくなるんだな、と思いました。ゴールが分からないのに、暗いトンネルの中を走っている感じ。何のためにやっているんだろうと自問自答していました。

「目標がないと、こんなにも人ってきついことができなくなるんだな、と思いました」
「目標がないと、こんなにも人ってきついことができなくなるんだな、と思いました」

後編に続きます!

取材・文/高橋奈巳 写真/鈴木愛子

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