目標に向かってたゆまぬ努力をつづけたオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きすぎるプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさんあります。本連載では、そんな中彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを伺います。今回登場するのは、アテネ五輪・女子マラソン金メダリストの野口みずきさん。今も日本記録を保持するトップアスリートの知られざる失業時代とプロ意識の芽生え、自身がオリンピックを目指すきっかけとなったシドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんについて伺いました。
上 失業期間が競技人生のターニングポイント ←今回はここ
下 五輪4大会を目指し、足が壊れるまで走り続けた
実業団入りしたときは同期の中で下から2番目
日経doors編集部(以下、――) 野口さんは2004年アテネ五輪の女子マラソン金メダリストであり、05年にベルリンマラソンで打ち立てた2時間19分12秒の日本記録もいまだ破られていません。国内での最高記録も2020年3月に一山麻緒選手が更新するまで、17年間、野口さんが1位でした。トップアスリートの中でも群を抜く実績ですが、実業団入りしたときは注目される選手ではなかったとか。
野口みずきさん(以下、野口) そうです。高校卒業後にワコールの実業団に入ったときは、実力でいえば同期の中で下から2番目。入社のときに周りは「オリンピックに出たい」「日本代表選手になる」と挨拶していましたが、日本代表選手なんてとても言えない。だから私は「足が壊れるまで走りたい」と宣言しました。当時の私の実力からして保証できるものはそれしかなかったし、それに、日本代表が夢なら代表になった時点で夢が達成したことになる。足が壊れるまで覚悟を持って走ろう――。これが私の選手生活の原点です。