苦しいときは、ファンの声と大好きな音楽が支えに

―― そんなときはどうやって乗り越えたのでしょうか。

野口 リハビリの先生から「寮で一人で取り組むのでなく、病院で他の選手と同じ空間で一緒にやろう」と声を掛けられました。そこで、私以上に頑張っている人を見て、私はまだまだだな、と。あとはファンからの励ましのメッセージですね。そのうち、「私もまだできる!」という、いつもの前向きな自分を取り戻していきました。

 あと、私にとって大切なのは音楽です。ジャンルを問わず、昔から音楽が好き。落ち込みがちな日はヒップホップやパンクなどハイテンションな洋楽をかけます。どこに行くときもプレーヤーを持ち歩き、海外合宿のときは音楽番組「MTV」を流しっぱなしで、映像を見ながら踊って気分転換していました。

―― 実業団入りしてから練習ノートも書き続けていると聞きました。

野口 練習ノートは高校卒業後から毎日付けています。調子が悪いときは、結果が良かったレース前後のページを見返し、そのときの練習内容や記録を見て、参考にしました。調子が悪いときも後ろ向きのことは書かず、改善すべき点や今やるべきことを前向きに書くようにしていました。

野口さんの練習ノートには前向きな言葉が並んでいる
野口さんの練習ノートには前向きな言葉が並んでいる

4年以上もフルマラソンに出走できず。それでも現役続行

―― 結果的に、北京五輪前の07年東京国際女子マラソンから4年以上もフルマラソンに出場できない日が続きました。が、その後も現役を続行し、ロンドン、リオデジャネイロと2大会の五輪代表を目指して走り続けました。その強い気持ちはどこから湧き出るのでしょうか。

野口 金メダルの力でしょうね。オリンピックで金メダルを獲得したときの歓喜の瞬間を味わった人は、何度でもオリンピックに挑戦したいと思うはず。あの一瞬があるなら、どんな厳しいトレーニングにも耐えられる。それほど代えがたいものがオリンピックにはある。正直、後半は本当にボロボロでした。それでもアテネの記憶から「まだできる」「奇跡が起きる」と思っていました。こんな状態でも復活を遂げて、リオ五輪で引退できたらどんなにカッコいいだろう、と。

リオ五輪の選考レースはワースト1の記録 それでも自分の花道

―― そんな思いで、16年、リオ五輪の代表選考レースとなる名古屋ウィメンズマラソンに向かったのですね。

野口 そうです。レース前は、さすがにもう無理だ、という思いもありましたが、走って終わりにしないと諦めがつかない。レース中も完走すら難しいと思いましたが、これまでやってきた自分の足跡が、最後のレースで私の背中を押してくれたような気がします。結果的に、マラソンの競技人生でワースト1の記録。このレースで現役を引退することになりました。それでも、トレーニングができなかった状態で2時間33分の記録は奇跡に近いもの。カッコ悪い終わり方だったかもしれないけれど、最後は金メダルを取ったときのような感動がありました。沿道から「ありがとう」「お疲れさま」という温かい声援が聞こえて、ああ、これが私の花道なんだな、と。「足が壊れるまで走り抜いた」のだから、私の夢はかなったのだと思います。