目標に向かってたゆまぬ努力をつづけたオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きすぎるプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさんあります。本連載ではそんななか彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを伺います。今回登場するのは、アテネ五輪の女子マラソン金メダリストの野口みずきさん。後編では、アテネ五輪で金メダルを取った栄冠の日から、北京五輪の欠場、4年半フルマラソンに出走できなかった日々、そして、ロンドン、リオと4大会の五輪を目指して現役を続行した不屈の精神について伺いました。
上 失業期間が競技人生のターニングポイント
下 五輪4大会を目指し、足が壊れるまで走り続けた ←今回はここ
初マラソンから2年、アテネ五輪で金メダリストに
日経doors編集部(以下、――) 2004年のアテネ五輪は、酷暑のうえにアップダウンが続くハードなコース。緻密な戦略、冷静な判断が求められたと思います。どんなことを心掛けましたか。
野口みずきさん(以下、野口) レース当日の朝は朝練習の後にマラソン発祥の地であるマラトンの丘で、力を発揮できるようにお祈りしました。監督からは当日に「25km地点でスパートしろ」と指示が出ました。私自身、下見のときにちょうど25km地点にカルフールの大きな看板が見えて、「スパートをかけるならここだな」と思っていたので、納得してレースに向かいました。ギリシャはマラソン選手にとっては特別な場所。スタート直前、奮い立たされるような気持ちになりました。
―― オリンピック発祥の地、アテネで金メダルを獲得したときはどんな思いでしたか。
野口 もう、ゴールしたくなかったですね(笑)。ずっと大歓声を浴びながら走り続けたかった。あのときのことは鮮明に覚えています。
スタートは18時。夏のヨーロッパらしくまだ明るい日差しの中で走り始め、1時間ほど走った25km地点で大きな夕日で空がオレンジ色に染まり、ゴール直前の40km付近で陽が沈み、うっすら宵闇になって。次第に暗くなり、道は街灯で照らされて、目の前の道だけが輝いていました。そして、私の目の前には誰も走者がいない――。その光景に酔いしれてしまい、後ろの走者のことも気になりませんでした。
その先にはパナシナイコ競技場の上で白く光り輝く五輪のマークが。競技場に入った瞬間、観客の方々が総立ちで、大歓声が鳴り響いて。うわーっ、と、もう言葉にならない思いでした。8月22日、私はこの一瞬のために走ってきたんだ、と思ったら、これで終わりにしたくない。ずっと歓声を感じていたいと思いました。