どの五輪後も常に書いていた言葉

―― それを機にノートとの向き合い方も変わりましたか?

上村 変わったような気がします。それまでもやるべきことや感想をたくさん書いていましたが、今思うとただ書いているだけでした。一方、トリノ五輪後のノートを見返すと、日々のトレーニングが、4年後に勝てる選手になるためにどう結びつくのかということをきちんと意識しながら書いていたと分かります。

 20代前半は技術を身に付けることだけに必死だったけれど、20代後半はより戦略的に体づくりや技術を磨き上げていたことが、記録から読み取れるのです。五輪から逆算して積み重ねることの重要性に、3回の五輪を経験してようやく気づいたのだと思います。だからこそ腐ることなく、一歩ずつですが成長できたのだとも思います。

 一方で、どの五輪後も毎回書いていた言葉があります。それが「私らしくいこう」でした。さまざまな方にサポートしてもらって競技が継続できるので、自分のため以上に、周りのためにやらなきゃという思いが強くなり、悩むことも多々ありました。金メダルを取りたいという自分の思いに正直に行動したいし、そういう気持ちを忘れてはいけないと、自身に言い聞かせるように書いていたのだと思います。

 そうして気持ちを切り替えて踏ん張れていた私ですが、ワールドカップ種目別年間優勝を果たして「金メダルを獲得して引退する!」と、どの五輪よりも強い気持ちを持って挑んだバンクーバー五輪が4位に終わってしまった時、プツンと糸が切れたかのように、競技から離れてしまうことになりました。

後編に続く)

取材・文/高島三幸 写真/小野さやか