目標に向かってたゆまぬ努力をつづけたオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きすぎるプレッシャーにライバル選手の動きなど、越えなければならないハードルがたくさん。そんななか彼らはどのようにして栄光の舞台を勝ち取ったのかをうかがう本連載。今回は元女子モーグル日本代表の上村愛子さん。20年に渡り5回もの五輪チャレンジに挑み続けられた上村さんを支えたことについて伺いました。後編はプツンと糸が切れてしまったバンクーバー五輪から再び競技生活に戻り挑んだソチ五輪、さらに引退後のことまで伺いました
上 上村愛子 20年に渡る五輪チャレンジを支えたノート
下 上村愛子 プツンと糸が切れたとき、書いて自問自答 ←今回はここ
バンクーバー五輪後、湧かなかったモチベーション
日経doors編集部(以下、――) 前編(上村愛子 20年に渡る五輪チャレンジを支えたノート)では、ノートを使って自分と向き合いつつ日々の練習に励まれていたことを伺いました。ただ、2010年の4度目のバンクーバー五輪で4位になった後、糸がプツンと切れてしまったと。その後、1年間の長期休養に入られます。
上村愛子さん(以下、上村) あの頃が、競技人生のなかで一番つらかったです。2006年のトリノ五輪後、新しいターン技術を身につけそれを武器にし、2007ー08年シーズンでワールドカップ種目別年間優勝を果たしました。2009年には世界選手権2冠達成という過去最高の結果で、バンクーバーに挑んだわけです。私の視線の先には金メダルしかなかった。でも、結果は4位。五輪に挑戦するたびに順位は上がるのにメダルに届かない状態に、当時のインタビューでも話しましたが、「なんで一段一段なのだろう……」と落ち込みました。
それまでの五輪は、メダルが届かないことに落ち込んでも、終わった後に課題が見えて、次の五輪にチャレンジするモチベーションへとつながりました。でもバンクーバー五輪後は、もうそうは思えませんでした。張り詰めていた糸がプチンと切れたように、これ以上の努力をして挑む気力も湧かなくて…。
一方で、16年も金メダルを取るためにチャレンジしてきましたから、その目標を諦めきれない自分もいました。だから休養という形を選び、1年間、「やるかやらないか」を自問自答していました。休養期間も自分の思いをノートに書いていましたね。
―― どんなことを書いていましたか?