改革は量的変化と質的変化の両面から

 大きなシフトチェンジ――例えば、ニュージーランドやフィンランドのように女性首相が生まれたり、規定として役員の男女比が変わったり、女性起業家を対象としたファンドが立ち上がったり、刑法の性犯罪規定の改定が起こったり、生理用品の課税額が変わったり(これ、すべて日本で起こってほしいこと!)――など、仕組みやルールから先に抜本的な改革を実行していく。それが「量的変化」です。

 日本にはまずそれが足りなさ過ぎる。リスクヘッジ的思考では大きな改革は起こりえません。荒療治ではありますが、行政や企業が、自ら先陣を切って大きな変革を行わなければ、今の日本のジェンダー・ギャップは変わっていかないのではと痛感しました。

 ジェンダー・ギャップの評価軸でもある政治経済における女性の活躍の場も非常に少ない。もちろん、社会に出ていくことだけが正義ではありませんし、経済力を持つこと、役員や政治家になることだけが「活躍」ではありません。しかし、今はまだ、その道に進むための入り口に圧倒的な不平等さがある。一歩目からのハードルがあるというのが今の日本がいるフェーズ。だからこそ女性の社会進出の道筋を作っていくことが必要です。

 一方で、仕組みや規定によって大きな量的変化が起こったときに、分断や対立、ハレーションが起こることもあります。そのため、この変化を受け入れて進んでいける個人の意識改革が同じくらい重要です。それを「質的変化」と捉えています。

 にわとりたまご的な話ですが、質的変化となる個人の意識改革は、量的なルールチェンジが実現した状況下でハレーションが起きないための土台になるとも考えています。

 またルールチェンジやムーブメント、環境整備といった量的変化を受けて女性が立ち上がったとしても、社会全体が彼女たちを支えていこうという意識改革、質的変化が伴っていない現状があります。仕組みができても一歩踏み出す人の翼を折るようなことがあっては、平等にはならない。

 例えば、伊藤詩織さんの一連の戦いの中で、日本では彼女に対するセカンドレイプが乱発しました。目も当てられないほどだった。しかし詩織さんは、傷つきながらも未来の日本の女性たちのためにも立ち上がり戦い続けています。彼女のような「声を上げる女性」に対し、周囲の人間はどういう言葉を選びどんなふうに向き合っていけばよいのかを考えていく必要があります。

 社会の声を大きくしていくことで平等意識の高い民意をつくり(質的変化)、またそれが法改正や規制改定につながっていく(量的変化)。そういった、仕組み・組織と民意との連帯が必要不可欠だと考えています。