政治の選出の仕組みを変えてみては?

 ある風景に例えてみましょう。

 バスが1台走っています。そして、そのバスは都市部で、大きなスピーカーから「輝け♪ 女性♪ 活躍だ♪」みたいな音を出して走り回っています。でも、そのバスの特別な座席に座っているのは年配の男性がほとんど。誰もその地位のある座席から降りようとしない、立ち上がろうとしない、譲ろうとしない、招き入れようとしないのに「経済の世界も、政治の世界も、女性がここに乗ってこようとしないんですよ……」と言っている。

 そんな風景に見えます。

 そして、そのバスのおかしさは他の国からは前近代的、国際競争力のないものに見えているでしょう。つまり、その風景が、世界的から見て「醜く、恥ずかしい」ということに心の奥底で気づいていない、私にはそういう風景にしか見えません。

 日本の国際競争力は年々落ちています。その背景にはマネジメントの能力不足が指摘されていますが、外国人・女性といった現状の社会のマイノリティーと共に仕事ができない、マネジメントできないということも表明しているようなものです。

 何度も言いますが、もはや、この問題は女性の頑張りの問題ではありません

 特に全体の順位を下げているのが政治分野の144位。ここが男女平等の足を引っ張る結果となっているということは、選出の仕組み自体をも変える時代が来たということかもしれません。「女性に門戸を開いていますが、優秀な人がいないのです」という言い訳はもはや通用しません。「意志」を持って選出の仕組みを変えたり、政治の中心にいるその人たちこそが、「招き入れよう」という姿勢を見せたりしなければならない時代の到来です。