- (1)失敗から何を学ぶ?次のキャリアにつながる立ち直り方
- (2)うつ後に社内起業、社長、異業種転身…執着せず人生挽回
- (3)就活60社全落ち&職を転々 ケニアでアパレル起業
- (4)失敗からの回復法 レジリエンスの鍛え方と楽観性の誤解
- (5)13事業中5撤退 連続社内起業家の失敗に折れない秘訣 ←今回はココ
大手総合商社を経て、サイバーエージェントに入社し、連続社内起業家として活躍していた椿奈緒子さん。13のインターネットサービスを連続で立ち上げるも5つは撤退。最初の事業責任者についた25歳のときは、部下に「もう椿さんについていけない」と集団で直談判されたことも。現在は数々の失敗経験を生かして、事業開発人材の育成会社経営のほかに、新規事業塾、パワーママプロジェクトの共同代表を務める。椿さんが失敗から何を学び、どう次につなげたのかを教えてもらった。
24歳で新規事業のリーダーに
「自分が立ち上げたビジネスで日本と海外の架け橋をつくりたい」と大手総合商社勤務を経て、サイバーエージェントに24歳で入社した椿さん。インターネット広告事業本部に配属され、広告代理店営業として活躍。半年後、提案したコスメのサンプリング事業が第1回社内事業プランコンテストで、グランプリを獲得し、事業責任者を任された。
「マネジメント経験もない、中途入社半年の社員がグランプリをとれたことが驚きでした。そこからは成功させようと必死でした。サンプル商品づくりやクライアント集めに、物流体制を整えたり、ECサイトを作ったり……。ようやくサービスができ上がってからも売り上げを伸ばすことと、事業を回すことで精いっぱいでした」。最初の失敗が訪れたのは、そんな奮闘のまっただ中の時だった。
部下「もうついていけません」
当時のサイバーエージェントには新規事業の昇格・撤退基準のルールが月間粗利益額、黒字化などによって明確に設定されていた。目の前の数字しか見えず無我夢中で働いていた椿さんだが、ある日、人事担当者から呼び出しを受けた。
「会議室に行ったら、チームのメンバー数人がいて『椿さんにはついていけません』と言われたんです。私は全くそんなことを予想もしてなかったので『え?』と驚きました。メンバーは『私たちのことを何も考えずに一人で勝手に決めている』『この事業は椿さんのものじゃない』と泣きながら話していました。私はそこで初めてチームが崩壊していることに気付いたんです。私はショックすぎて固まりました。でもこの失敗が組織運営について、自分自身の働き方ついて見直すきっかけになりました」