今の仕事では物足りない。自分の価値を発揮できる場所は、もっと他にある気がする――。そんなとき「フリーランス」という選択が頭をよぎる人も多いはず。独立の「光と闇」、成功に必要な知識・ノウハウまでを、ギュッとまとめてお届けします。

社員とフリーランスが「チーム」を組んで働く事例が増えています。実は、日経doors編集部もそう。部員の一部がフリーであるだけでなく、なんと編集長も20代の頃はフリーだったんです! 気心の知れたメンバー同士だからこそ話せるとっておきの裏話、ここに暴露します。

※写真左から

羽生祥子
京都大学農学部入学、総合人間学部卒業。新卒でフリーランスに。編集工学研究所で松岡正剛に師事する。2005年に現・日経BP入社。『日経マネー』副編集長、『日経DUAL』創刊編集長を経て、19年『日経xwoman』プロジェクトを立ち上げ。『日経xwoman』総編集長、『日経doors』編集長。

高橋奈巳
化粧品業界に10年間勤務した後、IT企業、フリーターを経てライターに。出版系のベンチャー企業で、ムック、書籍、ウェブなどの取材・執筆・編集に携わる。2019年にフリーのライター・編集者として独立。日経doorsは創刊時から参画。日本化粧品検定1級。

加藤藍子
大学卒業後、全国紙の新聞記者として約5年勤務。その後、複数の出版社などで雑誌や書籍・ムック、ウェブメディアの取材・執筆・編集を経験。2018年7月に独立し、フリーランスの編集者・ライターとして活動している。日経doors創刊時から編集部参画。

自発的? 非自発的? 私がフリーランスを選んだ理由

加藤 皆さん、今日はぶっちゃけていただくということで、よろしくお願いします!

羽生高橋 よろしくお願いします!

加藤 まず、皆さんが現在、もしくは過去にフリーランスという働き方を選んだきっかけなんですけど……。高橋さんはどうですか?

高橋 私にとっては、当時は非自発的な選択でした。もともと「フリーランスになる」なんて考えたこともなくて、正社員として細く長く生きていくつもりでしたから。でも、あるとき急に関節リウマチを発症してしまって。私の場合は症状がとても重くて、全身が腫れ上がってしまい、何カ月も寝たきりの状態が続いたんです。消化できる休暇をすべて使い切ってしまったこともあったんでしょうが、勤め先からやんわりと退職を勧められて……。

羽生 えーっ!

加藤 大変でしたね……。

高橋 転職活動はしたんですが、病気のことを話すとネガティブな反応ばかりで。「私、これからどうしたら生きていけるだろう」って真剣に考えて、消去法で残った選択肢がフリーランスで働くことでした。ライティングのスキルは、ベンチャー企業でコンテンツ作成の仕事に携わりながら身に付けました。

羽生 どん底から、ガッツで道を切り開いたんですね。加藤さんはなぜフリーランスに?

加藤 一言でいうと、まだまだ攻めて生きていきたかったから。高橋さんとは対照的に、自発的な選択でした。私は新卒で全国紙の記者になり、以来編集業界でいくつかの会社を経験しました。最後に勤めていた会社では、自分のスキルを評価してもらっていたと思うし、感謝もしています。でも、やや保守的な社風で、周囲とのモチベーションの差を苦しく感じることも多くて。「思いっきりやれる環境」に身を置いていない自分の仕事人生、どうなんだろうって30代前半にして考えたわけです。副業も禁止だったし。

羽生 自分の市場価値、これからどうなっていくのか……。成果と評価、モチベーションと環境が見合っていなかったら不安になりますよね。

高橋 でも、他社に転職するという選択肢は?

加藤 もちろんその道もあったと思います。ただ、私は編集者として外部のクリエーターと一緒に仕事をすることが多かったので、スキル一つでバリバリ仕事をしているちょっとしたロールモデルがすごく身近にいたんですよね。実際に話も聞いてみて、自分もやっていけるんじゃないかと思ったのは大きいです。

 ……ただ「覚悟」を問うなら、私は羽生さんが「新卒でフリーランス」という選択をした理由がすっごく気になるんですけど!