明るいキャラクターとマルチな才能で、モデル・タレントとして幅広く活躍するアン ミカさん。今年3月に出版した『ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ』(講談社)には、激動の人生を救った言葉の数々が書き留められている。幾多の挫折や30代前半に経験した仕事減の時期にも腐らず、前を向いて夢を実現してきたアン ミカさんに、人生が好転した転機を聞いた。
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下 アンミカ 仕事激減、実家の火事…再出発を支えた言葉
「元パリコレモデルという私のキャリアは華やかに見えるかもしれませんが、皆さんの想像とは全く違うんです。当時の私には失うものがなく、パリへの挑戦は人生を変える希望しかなかった。何度踏まれても立ち上がる『雑草魂』で今があります」
すべてを包み込むように明るく温かいアン ミカさんの笑顔の奥には、ネガティブな出来事をプラスに変え、人生を大きく前進させた原体験がある。
アン ミカさんは韓国で生まれ、4歳で家族と共に大阪へ移住。幼少期は4畳1間の部屋に家族7人で暮らし、その後生活が上向きかけた中学時代には2度にわたる実家の火事を経験する。さらに母ががんを患い早世するなど苦難が続いた。
15歳でモデルになり、その後パリコレを目指した理由は、母への思いが強く関係している。
「子どもの頃の私はぽっちゃり体形で背も低く、コンプレックスがありました。母はそんな私に『あなたは手足が長いし、モデルになれるかも』と励ましてくれ、『将来はモデルになろう』と思っていたんです。私が中学3年生になった秋、母が寝たきり状態になり『もうすぐ命がなくなります』と医師から告げられたとき、私は母にモデルになったという報告か、母の望んだ高校に入るか、どちらかの報告をしたいと思いました。
高校進学までには余命が間に合わないかもしれないから、まずモデルから。母は見ることができなかったけれど、私は高校に入学後の1年間で11㎝身長が伸びました。母のおかげでモデルになれたから、トップを目指したかった」
15歳でのモデル事務所への所属は、約20社受けたオーディションが全部不合格となった末に、事務所へ直接売り込みをして条件付きでつかんだもの。20歳でのパリコレデビューまでの道のりも、世界的なモデルの基準からは低めの身長である171㎝のアン ミカさんは、当時アジア人モデル需要がほぼゼロという環境下で多くの挫折を経験した。それでも夢を諦めずにチャンスをつかんだ行動には、運だけではない人生を前向きに変えるヒントがたくさん詰まっている。
アン ミカさんはこれまでに約20個の資格を取得し、オンリーワンのキャリアにも生かしている。挫折続きの人生が一気に好転した転機に加え、キャリアの可能性を広げた資格取得の見極め方についても聞いていく。