親世代の価値観がインストールされてしまい、なかなか一歩踏み出せない、親の顔色を見てしまい自分の本音とは違う選択肢を取ってしまう……こうした行動パターンがキャリアや結婚に影響を及ぼしている可能性があります。専門家に聞いた親との正しい距離の取り方、実際に親の呪縛から抜け出した実例をご紹介します。

過干渉な母との確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)。著者の田房永子さんは、「毒親」が注目を集めるきっかけをつくり、家族問題をテーマにした作品を多数出版しています。「なぜか生きづらい」母娘問題を抱える人に向けて、周りに振り回されず幸せな人生を歩むヒントを教えてもらいました。

 『母がしんどい』を描いた当時、私は32~33歳。母とは絶縁中で、母娘問題の渦中にいました。

 過干渉な母との関係に悩んで、家を出たのは22歳のとき。実家に住んでいた頃は皮膚や胃腸などにさまざまな不調を抱えていたのに、その後ぱったりとなくなりました。今思うと、ストレスが体に出ていたんですね。

 物理的に距離を置いたことで体の健康は手に入れられたのですが、心理的には母の存在を常に感じていました。離れて暮らしていても電話やメールが頻繁に来て、母は私のフィールドに入ってくるんです。仕事を終えて帰宅したときに「自分のマンションの前で待っていたらどうしよう」と、いるはずのない母の幻覚におびえるほどでした。

「人生が一人ずつ自分のコーヒーカップに乗ってるようなものだとしたら、うちの母は私のコーヒーカップに乗りこんで回しまくっちゃってる感じ……」。『うちの母ってヘンですか?』(秋田書店)より (C)田房永子
「人生が一人ずつ自分のコーヒーカップに乗ってるようなものだとしたら、うちの母は私のコーヒーカップに乗りこんで回しまくっちゃってる感じ……」。『うちの母ってヘンですか?』(秋田書店)より (C)田房永子

 結婚を機に「母の言う通りにしていたら私と夫の仲が悪くなって離婚することになってしまう」と感じました。そこで、「連絡を絶つ」ことを決め、29歳で母と決別。30代後半からは徐々に関係性が改善し、40代となった今では母に子どもを預けたり、写真やメールを送ったりしています。

 感情をあらわにして自分の思い通りにしようとする母の気質は今も変わりません。それでも関係性が変わったのは、母の痕跡をいったん自分の人生から消し去り、年月を経て、私自身が無理をしない範囲で付き合えるようになったから。母の言動によって傷ついた過去の自分を認め、とことん寄り添って癒やすことで、強烈な台風を起こす母を目の前にしても、自分の軸につかまっていられる状態になったことが大きいと思います。


 次からは、母の呪いから逃れ、周りに振り回されずもっとラクに自分の人生を生きる方法を紹介します。

<過干渉な母に振り回されず、等身大の幸せをつかむポイント>/親に対して「良好な関係に変えよう」「関係を改善しなければいけない」という期待はしない/自分の親を他人の親と比較して、「毒親」かどうかをジャッジしない/罪悪感は罠。自分の意見を押し通すことは「○○」ではなく、「○○」につながる。拒絶であってもこちらの気持ちを伝えることは、長い目で見れば母にとっても必要なこと/自分を取り巻く環境・要素をA面・B面で分けたとき、自分のB面に意識を向けることを大事にする/A面…社会通念、比較対象になるもの(例:規則・損得・優劣)/B面…○○、○○(例:○○・○○・○○)/→過干渉の親はB面の部分にまで踏み込み、子を洗脳・支配する/○○ではなく、○○に集中して向き合う習慣をつくる
A面・B面の概念は、田房さんによるイラスト図解で詳しく紹介!