コロナ禍も3年目へ。さまざまな制限が課される中でも、着実に夢を形にしていった人がいます。くじけそうになる心を抱え、どう夢の実現に動いたのか。さまざまな登場人物から、目標を達成させるための至極のノウハウをご紹介します。

昨年開催された東京オリンピックの体操女子種目別ゆかで、銅メダルを獲得した村上茉愛さん。日本女子として史上初の個人表彰台に立ち、歴史的な快挙を果たした。小学6年生の時にH難度の大技「シリバス」を成功させ、天才少女と呼ばれた村上さん。リオデジャネイロ・オリンピックでは団体4位となった雪辱を果たすため、2019年の世界選手権に挑むもけがで出場を断念。厳しいリハビリを乗り越えた直後、新型コロナウイルスの感染拡大で練習の自粛を余儀なくされた。「自粛期間中このまま消えるかもと覚悟もした」と振り返る村上さんが、夢をかなえるために実践したことを聞いた。

1996年神奈川県生まれ。3歳で体操を始め、小学6年生のときに、シニア選手でも難しいといわれるH難度の「シリバス」を成功させ、天才少女と呼ばれる。中学2年生の全日本選手権種目別のゆかで日本一に輝く。2013年世界選手権で女子種目別のゆかで4位に入賞。2016年リオ五輪では団体総合の4位入賞に貢献した。2021年、東京五輪の種目別ゆかで銅メダルを獲得、個人種目では日本女子として初めての表彰台に。10月の世界選手権、種目別ゆかで金メダル、平均台でも銅メダルに輝いた。同月、現役引退を発表し、母校の日本体育大学で体操コーチとして後進育成に励む
1996年神奈川県生まれ。3歳で体操を始め、小学6年生のときに、シニア選手でも難しいといわれるH難度の「シリバス」を成功させ、天才少女と呼ばれる。中学2年生の全日本選手権種目別のゆかで日本一に輝く。2013年世界選手権で女子種目別のゆかで4位に入賞。2016年リオ五輪では団体総合の4位入賞に貢献した。2021年、東京五輪の種目別ゆかで銅メダルを獲得、個人種目では日本女子として初めての表彰台に。10月の世界選手権、種目別ゆかで金メダル、平均台でも銅メダルに輝いた。同月、現役引退を発表し、母校の日本体育大学で体操コーチとして後進育成に励む

低迷が続く体操日本女子のエース

 昨年の東京オリンピックでは、体操女子種目別ゆかで銅メダルを獲得。体操女子の五輪メダルは個人では初のメダルとなり、歴史に名を刻んだ。身長148センチの小柄な体形ながらも力強いダイナミックな演技、そしてはじける笑顔に多くの人が魅了された。

 体操はスポーツの中でも体への負荷が大きく、けがをしやすい。さらに女子選手は女性特有の体の変化もあり、早い年齢で引退する人が多い。そんな中、村上さんはオリンピックに2度出場し、長年エースとして、日本女子体操界をけん引してきた。20年以上にわたる競技生活で、村上さんも故障や長い低迷期に悩んだ。

自粛期間中「ここで消えるかもしれない」

 2018年の世界選手権で日本女子初の個人総合銀メダルを獲得し、全日本個人総合選手権で3連覇を達成。勢いに乗っていたが、2019年に東京オリンピックの出場権がかかった世界選手権を腰痛のため直前で棄権した村上さん。そこからつらいリハビリに耐える日々が続いたが、2020年3月に東京オリンピック・パラリンピックが新型コロナウイルスの影響で延期に。さらに、緊急事態宣言下で体育館が使えず、体操の練習自体もできなくなった。

 「競技力自体も伸びていない中、けがも乗り越えなくてはいけない。このまま練習を続けて世界で戦えるレベルになれるかも分からない。ここで、私は消えるかもしれないと思いました」

「リハビリ期間中でも体育館には毎日行けていたので、体操に触れることができていた。でも、まったく触れられなくなるのは初めてでした」
「リハビリ期間中でも体育館には毎日行けていたので、体操に触れることができていた。でも、まったく触れられなくなるのは初めてでした」

 体育館が使えなくなったのは約3カ月間。「自粛期間で、気持ちがどん底まで落ちた」と話す村上さんだが、そこから持ち直し、1年間の練習を経て、東京オリンピックで銅メダル、世界選手権で金メダルと輝かしい成績を残した。村上さんが夢をかなえるためにしたことは次ページから詳しくお伝えする。