「そんなこと自分で考えろ!」と言われることは分かっている……。だけど、モヤモヤと考えてしまうささいなことを、小島慶子さんにぶつける本連載「小島慶子さんにこんなコト聞いちゃいました」。今回は、「専業主婦」について、小島さんに聞きました。

Q.実は専業主婦になりたいんですが、どう思いますか?

「私は専業主婦に向いていなかったですね」
「私は専業主婦に向いていなかったですね」

 育休を早く切り上げて仕事復帰しちゃったくらい、私は専業主婦に向いていなかったなあ。特に第一子の時は子育ての経験も知識もないなか、周りに頼る人もおらず、それでも朝から晩まで絶え間なく家事はあって。「これやったら休んでいいよ」って誰かが言ってくれるわけじゃないし、完璧にこなしたとしても評価もされず給料も出ない。つらかったですねえ。

 それでも育休を取った時には、毎日家の中をきれいに掃除して、栄養バランスを考えたおいしい料理を出そう、完璧に家事をやろうと思っていたんです。でも今考えればそれは、「私も母のようにきちんと家事をやらなければいけない」という刷り込みだったのかもしれません。

スーパー専業主婦だった母の刷り込み、最近やっと解けました

 私の母は海外転勤もある商社マンを夫に持つ専業主婦でした。母の母は教師として忙しくしていたし、兄弟も多くて貧乏暮らしをしていたそうなので、ずっと家族の愛情に飢えていたんでしょう。母は満たされなかったものを満たす場として、自分の手で理想の家庭をつくりたかったのだと思います。だから結果として、「理想の娘」や「理想の家庭」といったイメージを私と姉に押し付ける過干渉になってしまったんですけど。

 私よりよっぽど優秀だった姉は働こうと思えばいくらでも働き口はあったと思いますが、数年だけ働いた後、25歳で一流サラリーマンの主婦に納まりました。それはやっぱり、母の考える女の幸せ=大企業に勤める夫の妻、という刷り込みのせいではないかと今でも思います。

 片や妹の私は、経済力のなさから父に頼るしかない母の姿を見て、絶対に自分は経済的に自立しようと思っていました。

 自分が大黒柱として働くようになったここ数年は、時々仕事に疲れてセレブ専業主婦はいいなあなんて思うこともありますけど、そんな現実逃避をしていては暮らせない。四の五の言わずに働かなくちゃ生きていけないので、女の幸せとは家庭か仕事か? とか悩む暇がなくなりました。

 それまで共働きの間は、子どもに対しては「母親が働いているのはよくないのかな」、夫に対しては「家のことをなんにもやらない妻だと思ってるんだろうな」と、誰にも何も言われていないのにもかかわらず、背後霊のように被害妄想や自分を責める気持ちがついて回っていました。

 やっぱり自分の母の姿と比べてしまっていたのかな。もしも母が働いている姿を見て育ったら、そんなふうには思わなかったのかも。