お金がなさすぎて、ボヤ騒ぎを起こしたことも……

 拠点とする地域は、東京や大阪といった大都市に比べれば商業規模において小さく、入場者・広告・協賛企業を集めることは難しい。

 スポンサーとして自動車メーカーの東洋工業(※現在のマツダ/球団名に名残をのこす)が支援に加わるも、莫大な出資額で環境を変えるまでには至りません。あくまでも身の丈に合った運営をつづけてきました。

 身の丈と言えば聞こえがいいですが、要するに自由になるお金が乏しかったということ。

 それは選手獲得競争において顕著で、1993年に始まったフリーエージェント制度(※一定期間活躍した選手が、好きな球団に移籍できる権利を持てる仕組み)での広島入団者は20年以上を経ていまだにゼロです。フリーエージェント制度は「長く活躍し、実績を積んだ選手が、自由に移籍できる」という戦力補強の大チャンスですが、そのぶんマネーゲームになりやすい仕組み。広島にはそこに割って入る余力はなかったのです。

 本拠地の状況も惨たんたるもので、2008年まで使用した旧・広島市民球場は、1950年代に建てた老朽化した建物であり、美観はもちろん機能面でも大きく見劣りするものでした。

 各地にエアコン完備のドーム球場が立ち並ぶ2007年において、旧・広島市民球場では「公式戦中、暖をとるためにベンチに炭火を入れたドラム缶を置いておいたら、その熱で冷水器のパイプが破損し、炭火に流れ込んだ水が白煙となってベンチから噴出」というボヤ騒ぎを起こしています。

 炭火、ドラム缶、白煙、というパワーワード。ネット裏で観戦していたマツダの社長は「50年ここで試合を見ているが、こんなのは初めて」と語ったそうですが、そりゃあそうでしょう。ヨソはもうエアコンを入れていた時代なんですから。