承認欲求が、自分の生活を犠牲にする

 オーバーワークは仕事に不慣れな人ほど感じやすいので、新入社員、新しい異動先、より責任のある仕事を任されたときには注意が必要です。これまでに報じられている過労自殺に、「若い人」が目立つのはこのためです。

 「昨日帰ってからなんか病んでもて仕事手に付かんかった。家帰っても全力で仕事せないかんのつらい……でもそうせな終わらへんよな?」

 2011年6月。このメールを最後に、英会話学校講師の女性(22歳)は、自宅マンションから飛び降り自殺。女性は毎晩「持ち帰り残業」をし、睡眠時間は3時間の日々が続いていました。

 「1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな」2015年12月に自殺した電通社員の高橋まつりさん(24歳)も、長時間労働、終わらない仕事、さらにはパワハラをうかがわせるツイートをTwitterにいくつも投稿していました。

 人は生きるエナジーが途絶えたとき、"死"という悲しい選択をする。自殺する人の誰一人として「死にたくて死ぬ人」はいません。しかしながら、いっこうに長時間労働の規制は進まず、過労死した女性も、過労自殺という悲しい選択をした女性たちも、苦しくて苦しくて仕方がないのに、けなげに頑張り続けました。

 そうやって頑張る人たちに、
 「そんなにつらいなら、辞めればいいのに」とたしなめる人たちがいます。
 「とにかく逃げろ!」という人たちもいます。

 でも、「それができない」から、しんどいのです。

 「だってここで弱音を吐いたら『ダメなヤツ』と烙印(らくいん)を押されてしまいそう」だし、やりがいのある仕事だし、「もっと評価されたい」「もっと自分の頑張りを分かってほしい」――という承認欲求が、自分の生活時間を犠牲にしてでも働き続けるという行動を選択させるのです。

「キャリア」とはさまざまな役割の経験を積んでいくこと

 人の心は常に矛盾に満ちていて、実際にストレスの雨に濡れている人でないと分からないことが山ほどあるものです。かくいう私も「頑張り過ぎて」、危険な状態になった経験があります。37歳のときに大学院に進学し、仕事と学生の二足のわらじの生活を続け、壊れる一歩手前までいきました。深夜2時に起床、3時前にテレビ局入り、5時からの生放送、9時には大学に行き、1日中学問する――。こんな無茶をしていたのです。

 自分では「大丈夫。やっていける」と信じていました。でも、体は正直です。じんましんは出るわ、心臓はバクバクするわ、ちっとも研究は進まないわで気持ちは焦るばかり……。

 そんなとき出合ったのが、「ライフキャリア・レインボー」理論です。

 米国の教育学者ドナルド・E・スーパーが提唱したもので、スーパーは、「キャリア=職業」とは捉えず、「キャリアとは人生のある年齢や場面のさまざまな役割の組み合わせ」で、「家庭や社会におけるさまざまな役割の経験を積んでいくことがキャリアである」としていたのです。

 具体的には、
(1)子ども
(2)学生
(3)余暇を楽しむ人
(4)市民
(5)労働者
(6)家庭人
(7)その他のさまざまな役割
といったそれぞれの役割を、生まれてから死ぬまで、どれくらいの時間と厚みで経験していくかによって、その人の人生が彩られる。

「子ども」という役割、「市民」という役割、「労働者」という役割――さまざまな役割が組み合わさっていきます (C)PIXTA
「子ども」という役割、「市民」という役割、「労働者」という役割――さまざまな役割が組み合わさっていきます (C)PIXTA

 人それぞれのレインボーがあり、仮に「緑色(=労働者)」がなおざりになっても、「黄色(=学生)」をピカピカに輝かせれば、その隣の緑色も違った輝きを放つようになります。