佐渡島で尾畑酒造の五代目蔵元を務める尾畑留美子さん。東京の大学を卒業後、映画会社で広報を担当、1995年に退社して実家に戻り、蔵元を継ぎました。多くの困難を乗り越えて、数々の賞を受賞する日本酒を造る一方で、地域活性化のために、廃校で酒造りと情報発信を行う活動も行っている尾畑さんに、Uターンを決めた経緯や20代の働き方について聞きました。

映画会社に就職「佐渡島には映画館がなかったから」

 佐渡島の真野町(現・佐渡市)で、1892年から酒造りを続ける尾畑酒造の次女として生まれた尾畑さん。幼い頃の遊び場は仕込み蔵で、少女時代には私が酒蔵を継ぐと宣言したほど、麹の香りが大好きだった。姉夫婦が家業を継ぐことになったため、高校を卒業後、東京の大学に進学。都会生活への憧れもあり、大学卒業後は日本ヘラルド映画に入社した。

 「佐渡島には映画館がないので、東京の大学に進学して一番最初にやりたかったことは、映画館で映画を観ることだったんです。実際、映画館に行って映画を観てみたら、2時間、別世界に行ける。島という限定された環境で育った私には、魅力的な体験でした。映画業界で仕事をすれば、映画を通じで世界のドラマに触れることができる。そう思ってこの業界を志望したんです」

30歳まではとにかく全力投球しますから!

 当時の尾畑さんの頭の中には、仕事生活において叶えたいイメージが三つあった。それは、(1)あまり早起きしないでいいこと。(2)ある程度の残業はするが、徹夜で仕事をしなくていいこと。そして、(3)いろいろな人達とお酒を飲む機会があり、それが仕事につながること。

 「あくまで希望、ですが(笑)。どの企業に所属するかも大事だけど、どんな生活スタイルで仕事をするかはもっと大事」。映画業界は、この生活イメージが実現可能な業界だと思えたという尾畑さん。そこで、宣伝担当の募集人数わずか一人という高倍率の入社試験を受け、見事、採用された。入社が決まったとき、尾畑さんは役員にこう言った。

 「30歳までは、とにかく全力投球しますからご安心ください」

 30歳までの8年間は精一杯頑張るが、そのまま会社で昇進を目指して役員になる、というような将来像は描いてはいなかったという。「とはいえ、そのほかに明確な目標があったわけでもありませんでした」

失敗はチャレンジしようとした証

 「映画宣伝の仕事は、とても面白い経験でした」

 時代はバブルの全盛期で、みんな羽振りよくお金を使い、単なる打ち合わせでも深夜まで飲み歩くのが当たり前。繁忙期は毎日終電まで仕事だが、ほぼ就職前にイメージした通りの仕事生活を送ることができた。

 当時の上司は、若手に大きな仕事をどんどん与えてくれる人。尾畑さんが宣伝プロデューサーとして関わったヒット作には、女優のシャロン・ストーンが足を組み替えるシーンが話題となった『氷の微笑』や、リュック・ベッソン監督の初ハリウッド作品『レオン』などがある。

 「失敗もたくさんしましたが、失敗はチャレンジしようとした証、と評価する社風だったんです。時代にも、仕事内容にも、上司・同僚にも恵まれていましたね」

 そんな毎日を送りながら、1994年のある日突然、尾畑さんは「蔵に帰ろう」と決意する。