「相手を尊重している」姿勢でコミュニケーション

 銀行に3年勤めた後の1994年に家業の大塚家具に入社。取締役経営企画室長、営業管理部長、経理部長、広報部長などを歴任するなか、久美子さんは会社の成長に見合った業務改革を実行していった。

 当時の同社は会員制導入に伴う成長で年々規模が拡大していた時期。「例えば、部署間での書類回覧や保管のルールといったささいなことをはじめ、会社の成長規模に応じた仕事のやり方の仕組み化、効率化が必要になっていました。ワンフロアに社員全員が収まる規模の会社から、顔が見えない場所で働く同僚とのコミュニケーションが日常となる規模の会社になれば、当然、組織運営に必要十分な仕組みは違ってきます。メガバンクという大企業で働いた経験が生きました」。

改まった手紙はモンブランの万年筆で。インクを吸わせる時間は「慌ただしい日常の中の贅沢」

 当時は取締役という肩書きであってもまだ20代。社内では年上の社員が多い状況のなか、「この人とはどうすればうまくコミュニケーションが取れるのか」と、相手に応じて伝え方を工夫した。

 さらに気を遣ったのが、社外の人と付き合うとき。挨拶に行った先で、「こんなに若い女性を寄こすなんて、我が社を軽く見ているのでは」とネガティブにとられかねない。

 「できるだけ年上に見られるような服装をしていましたね。相手に失礼にならないことを第一に考えて、丁寧にコミュニケーションを重ねていきました。“大塚”という姓にも助けられましたね」

 10年間、夢中で働いた後、久美子さんは36歳で大塚家具を退社する。「セミリタイヤ気分で、ゆっくりと旅をするなど充電期間を過ごしていました」。ところが数カ月もすると「何もしないではいられなくなって」、コンサルティング会社を設立する。

 「ここまでのキャリアで会社の管理部門の仕事は一通り経験してきました。組織の“裏方”としてのノウハウはどんな会社でも応用可能なものですし、コンサルティング業は元手となるお金もかからないので起業がしやすかったという理由もありました」

 取引先となったのは、上場したての中堅企業の経営者だ。「大手にコンサルティングを頼む余裕はないけれど、最低限抑えておきたい部分の指導をお願いしたい」というニーズに応える形で、IR代行業務を個人の事業として請け負っていた。

 その後、別の企業の立ち上げにも携わり、5年後の2009年、再び大塚家具に呼ばれ、41歳で社長に就任。このとき、会社は創業40周年を迎えながらもリーマンショックに起因する業績悪化に苦しんでいた。久美子さんによる“新生・大塚家具”への改革が始まったが、その先には大きな壁が立ちはだかっていた。

取材・文/宮本恵理子、写真/洞澤佐智子

こちらの記事は、日経WOMAN4月号「旬な人」の大塚久美子さんのインタビューに加筆したものです。続きは、明日公開予定です。どうぞお楽しみに!