カラフルな蝶や花があしらわれ、キラキラとスワロフスキーが輝くゴージャスな陶器の骨壺が、今、フューネラル(葬儀葬祭)業界で大きな話題となっている。この宝箱のような骨壺を生み出したのは、葬儀業界とは縁のない雑貨メーカーCOVER(カバー)のクリエイティブプロデューサー布施美佳子(ふせ・みかこ)さんだ。彼女はなぜ骨壺をプロデュースしたのか、話を伺った。

スワロフスキーとコラボした骨壺。価格は75万円(左)と68万円(右)

女の子向け玩具から骨壺の世界へ

 「自分が入りたい骨壺がつくりたかったんです」と骨壺について熱く語る布施さんだが、以前は子ども向けのおもちゃを作っていたのだという。

 アパレル会社を経て1999年にバンダイへ転職。アパレル事業部では、ガールズブリーフ「mi・ke・ra」をヒットさせるなど、数多くの商品企画を手がけてきた。

 2014年に子ども向けの玩具という枠から離れて「自由にやりたい」と、株式会社COVERへの出向を願い出る。COVERでも、かぶるだけで仮装ができる「かぶるかみぶくろ」を企画するなど、独自のアイディアでヒットを飛ばした。

 2015年、新規事業企画を任されたのを機に、一人でフューネラル(葬儀)グッズブランド「GRAVE TOKYO」を立ち上げ、オリジナル骨壺の商品化に動いた。その行動力とスピード感には驚くが、実はフューネラルグッズブランドの構想は、何年も前から温めていたものだったという。その背景には、布施さんが幼い頃から抱いてきた「死」に対する特別な思いがあった。

「ノストラダムスの大予言を信じて生きていた」

 「私はあまり生に執着がない子どもでした。年齢の割に大人びていたのかもしれませんが、両親や大人たちの人間関係の大変さなどを見るにつけ、早く死んだ方が楽かもしれない、などと考えていました。ですが、ちょうどその頃、1999年に地球が滅亡する、という『ノストラダムスの大予言』が流行っていまして、私はそれを真に受けて『どうせ人生は27歳までなのだから、そこまではがんばって生きよう』と、予言を頼りに生きていたところがあったのです。ところが、結局なにごともなく2000年代に入り、私はいつのまにか30代になってしまいました」

 しかし、その間に布施さんは身近に多くの死を経験した。「同級生や先輩など、若くして亡くなる友人、知人が多かったんです。私はアパレルの専門学校出身なのですが、その学校で一番優秀だった同級生も、卒業の1年半後、22歳の若さで亡くなりました」。