前編はこちら→「好かれたい」をやめたら、人生が変わった
1982年生まれ。神奈川県厚木市出身。短大卒業後、幼稚園教諭を経て、飲食店や音楽スタジオなどで働く傍ら、音楽活動を行う。大手自動車メーカーで働いた後、オフィスオーガスタに所属し、2016年1月に日本コロムビアからメジャーデビュー
1982年生まれ。神奈川県厚木市出身。短大卒業後、幼稚園教諭を経て、飲食店や音楽スタジオなどで働く傍ら、音楽活動を行う。大手自動車メーカーで働いた後、オフィスオーガスタに所属し、2016年1月に日本コロムビアからメジャーデビュー

 周囲の人に対して、当たり障りのないことしか言えない。

 そんな自分に気づいた頃から、心の奥底の本音をノートに書くようになった。日常生活で感じた嫌なこと、自分の嫌いな部分…。

「本来なら、仲のいい友達にわーっと話せばいいようなことです。でも、私は人に嫌われるのがこわくてそれができなかったから、代わりにノートに書いていきました。すごくギスギスした汚い言葉になることもあった。それを日々書きためながら、時間を置いてから冷静になって見直して、書き直していく。するとそれが少しずつ、人に聴かせられるような歌詞になっていったんです」

本音の力強い歌詞が、働く女性の心をつかむ

 本音の歌詞が書けるようになった28歳の頃から、アーティスト名をNakamuraEmiに変えて活動。バラードばかりを歌っていた頃は男性ファンが多かったが、率直で力強い歌詞を書くようになると、女性ファンが増えていった。

 今も代表曲となっている『YAMABIKO』の歌詞には、“頂上の高さなんて隣と比べるもんじゃない”“それが自分の道なら前を向いて歩け”というメッセージが込められている。音楽活動を細々と続けながら数多くの職業を経験し、誇りを持って働く人たちを見てきたことから、そんな歌詞が生まれた。

「空調設備を作る工場のラインで2年くらい働いていたのですが、組み立てやシール貼りなどのライン作業をものすごく速く、きれいにこなすパートの女性がいたんです。私はどんなに頑張ってもその人のレベルには追いつけないのですが、その人がいることで作業効率が格段によくなる。ラインの中の1工程だから、誰かに注目されることはほとんどないけれど、彼女はいつも作業を完璧にこなしていた。そんな姿は、すごくかっこいいなと思いました」

 メジャーデビューの直前に働いていたのは、大手自動車メーカーのエンジン開発部だった。「事務職だと思って応募したら、エンジニア採用だったんです。本来は縁がなかったはずなんですが、たまたまその部署が女性の人材を欲しがっていて、“いろいろなことができそうな子だから”ということで採用してもらえたのです」

 熱い思いでものづくりに取り組む男性社員に刺激を受けながら、エンジンのことを懸命に勉強し、2年ほど働いた頃には、配線を作る仕事にも携わった。

 「音楽は趣味で続けながら、ずっとこの会社で働きたい」と思っていた32歳のとき、現在の所属事務所、オフィスオーガスタから声がかかる。

「メジャーなアーティストとして活動したら、また以前の“人を感動させたい自分”に戻ってしまうんじゃないかと思って、最初は断っていたんです。でも、事務所の人と何度も話し、所属アーティストのライブにも連れて行ってもらったりして、“こんなに人間くさい人たちがやっているんだ”と気づいて、気持ちが変わっていきました」

歌詞を書くときの道具。「ノートは線のないクロッキー帳が好き。国語辞典は、めくっているといい言葉が見つかることも」
歌詞を書くときの道具。「ノートは線のないクロッキー帳が好き。国語辞典は、めくっているといい言葉が見つかることも」