「私の夢は、ITの力で人を幸せにすること。」そう語る起業家の奥田浩美さんは、IT×地方による社会課題解決をテーマに設立された「たからのやま」の代表。その一方で、25年間に渡ってIT企業の日本進出に関するイベントプロデュース事業に携わってきました。

 数々の新規事業を立ち上げ、ゼロからイチを作り出す達人である奥田さんは今、最年少が80代という集落も存在する超少子高齢化の町・鹿児島県肝付町に、コミュニケーションロボット事業を持ち込みました。

 最先端のITと、限界集落の高齢者――まるで端と端をつなげるような活動を行っている奥田さんが考える「幸せな未来」とは、一体どんなものなのでしょうか。

前編と合わせてお読みください → 「何かしてあげたい」と思わせる存在の必要性

おじいちゃんが晩酌を辞めた理由

奥田浩美(おくだ・ひろみ)さん
奥田浩美(おくだ・ひろみ)さん
インド国立ボンベイ大学(現州立ムンバイ大学)大学院社会福祉課程修了後、1989年に国際会議の企画運営会社に入社。1991年、ITに特化したイベントサポート事業を設立。2001年にウィズグループ、2013年にたからのやまを設立。2014年より、情報処理推進機構(IPA)の未踏IT人材発掘・育成事業の審査委員を務め、若い世代の新たなチャレンジを支援している。これまでに携わったITイベントの数は300以上。数億円規模のイベントをいくつも成功に導いている

 ロボットを連れて行った鹿児島県肝付町は、最年少が80代という集落もある、超高齢化社会です。

 ここに住む、ある一人のおじいちゃんが、去年から晩酌をやめたそうです。なぜなら、この集落で運転のできる人が自分しかいなくなったから。

 この集落は、何かあったときに救急車を呼ぶと、病院に運ばれるまで往復3時間もかかるんです。でも、自分が呑まずにいて誰かを運ぶことができれば、街から来る救急車に途中で乗せ替えて、3時間よりは早く病院に届けることができる。

 こんなふうに、みんなが自主的にルール作りをして暮らしているんです。

 この他にも、サルに畑を荒らされないように見張りをする係りなんかもあって、おばあちゃんたちがそれぞれ当番を決めています。みんな、「私は今日サルの見張りがあって、病院にいって、あれをして、これをして……」って、スケジュールがびっちり。

 そうすると、90歳のおばあちゃんでも、とても元気なんですよ! そこにお金は発生していませんが、この集落に貢献しているという気持ちを、みんなが強く持っています。

 都会のなかで手厚い介護を受けて生きていくのと、いっぱい課題を持った集落で生きていくのと、どちらが幸せなのか……考えてしまいますよね。

 私が90歳になっても生きていたら、彼らのように貢献する側として生きていくほうがいいなって思います。