こうして残りの人生が始まった。覚悟のまったくできていなかった人生。子どもたちに、パパが亡くなったと告げること。お葬式。過去形で語られるデーブの思い出。たくさんの人が「お気の毒に……」とくり返した。

 時の流れはぐんと遅くなった。子どもたちの泣き叫ぶ声がいつもあたりを満たしていた。自分の叫びが――心の叫びと、ときには本当の叫びが、残りの空間を占めた。あのころ「虚空」のまっただなかにいた。心臓や肺を満たし、思考を奪い、息すらできなくする、圧倒的な虚脱感である。

 悲嘆(グリーフ)はいつでもどこにでもしつこくつきまとってくる。最初の数日、数週、数カ月間は、つねにそこにあった。水面下に隠れているばかりか、不意に顔を出す。いつまでも煮えたぎり、くすぶり、うずいている。悲しみの波がいきなり立ちあがり、心をもぎとろうとするかのように私を突き抜ける。こんな苦痛には1時間も、1分だって耐えられないと思った。

 デーブがジムの床に横たわる姿が頭を離れない。空には彼の顔が浮かんでいる。夜になると、彼を求めて呼びかけた。毎晩泣きながら眠りについた。毎朝目を覚まし、うわの空で支度をしながら、不思議で仕方なかった。なぜみんな何事もなかったかのように過ごしているの? みんな知らないの?

 あのころの私は、悲しみを終わらせようとあがき、むりやり箱に閉じ込めて投げ捨てようとしていた。はじめのうちは失敗ばかりで、いつだって苦悩に圧倒された。体は会議に出ていても、子どもたちに本を読み聞かせていても、心はデーブが横たわっていたあのジムの床にあった。

 デーブが死んで2週間後、虚空がいちばん深かったころに、知り合いの60代半ばの女性に手紙をもらった。この悲しい旅路の先輩として、よいアドバイスができればうれしいと書いてあったが、そうはならなかった。彼女は数年前に、彼女の親友は10年前にご主人に先立たれたが、2人とも歳月のおかげで痛みが薄らいだようには思えないという。「どんなに頭を絞っても、あなたを力づけられるようなことは何ひとつ思い浮かばないのですよ」と書いていた。手紙は思いやりに満ちてはいたが、苦痛がいつか癒えるだろうという私の望みを打ち砕いた。虚空がひたひたとせまりくるのを感じ、空虚な日々がこの先いつまでも続くような気がした。

 このお先まっ暗な手紙を、友人で共著者となるアダム・グラントに電話で聞いてもらった。アダムは、人がどのようにして意欲と生きがいを見出すかを研究している。私がなにより心配なのは、子どもたちが二度としあわせな気持ちになれないのではないかということだ、とアダムに話した。みんなが体験を語って励ましてくれるなか、アダムは確かなデータをもって、根気強く説明してくれた。親を失っても多くの子どもが驚くほど早く立ち直る。その後もしあわせな子ども時代を送り、精神的に安定した大人に成長するというのである。アダムに手紙の内容を聞いてもらうと、彼は悲嘆から逃れることはできないが、自分と子どもたちの痛みを和らげる方法はあるのだと教えてくれた。

 それまで私は「レジリエンス」とは、苦しみに耐える力だと思っていた。だから、自分にその力がどれくらいあるのかを知りたかった。でもアダムは、レジリエンスの量はあらかじめ決まっているのではない、むしろどうすればレジリエンスを高められるかを考えるほうが大事だという。悲嘆はありのままに受け止めなくてはならないが、どれだけ早く虚空を通り抜けられるか、その過程でどのような人間に成長するかは、自分の信念と行動次第でコントロールできるのである。