「かわいそう」という言葉は魔物

――障害者の方に対して、「かわいそう」「社会的弱者」などと言ってしまいがちですが、それは違う、とお思いでしょうか。

ナミねぇ もう、それは時代遅れやな、と思います。この夏、障害者の姿を報道したチャリティー番組に「感動ポルノだ」という批判がありました。障害を持つ人や家族からみたら日常の風景でしかないようなことも、美談や感動物話として取り上げるテレビ番組には、私も違和感を覚えたことがあります。

 日本の教育では、障害のある人と出会ったら、何かお手伝いできることはないか聞いてみよう、困っていたら手を差し伸べようと教えられます。障害のある人のできないことばかりに目を向けて、それをどう補ってあげるか、という発想です。だから「かわいそう」と思うのでしょう。

 私は「かわいそう」という言葉は魔物やな、と思います。

 障害のある人を「かわいそう」と思った瞬間に、「私のライバルにはならないわ」と、相手を自分より低く位置づけてしまっているんです。そしてそれに気づかない。自分のやさしさに満足して、そういう立ち位置に立ってしまっていることを自覚できなくなる。

 私が伝えたいのは、障害のある人が私たちとは違うやり方で、私以上のことや私にできないことができる可能性があると考えよう、ということ。そういう発想を持つことが必要です。

 「かわいそう」って言葉が魔物だと、みんなが気づいたら変わると思うんです。

「かわいそう」という言葉が魔物だと気づいたらみんな変われる
「かわいそう」という言葉が魔物だと気づいたらみんな変われる

 スウェーデンとかアメリカとか、福祉先進国を見るとすごいなーって思うけど、私は日本人が変わったら、もっとうまいことやるで! と思ってる。日本人ならではのやさしさを持ったままで変われる方法って必ずあると思う。日本人にはすごい期待を持っています。

――ナミねぇは障害のある人を「チャレンジド」と呼んでいますね。

ナミねぇ 障害のある人は「挑戦という使命やチャンスを与えられた人たち」という意味のアメリカで生まれた言葉です。障害をマイナスとのみ捉えるのではなく、それぞれが持つ力をポジティブに生かしていこうという思いを込めて、私たちは「チャレンジド」と呼んでいます。

 後編では、ナミねぇが中心となって活動しているプロップ・ステーションの取り組みについて紹介します。

文/田北みずほ 写真/水野真澄

竹中なみ

社会福祉法人プロップ・ステーション理事長。1948年、神戸市生まれ。24歳のとき、重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療、福祉、教育を学ぶ。1991年、プロップ・ステーションを発足。1998年に厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得し、理事長に。財務省財政制度等審議会委員をはじめ主要省庁の委員を歴任。2009年に米国大使館から「勇気ある日本女性賞」受賞。「ナミねぇBAND」を結成しボーカリストとしても活動中。