こんにちは、著述・翻訳家の上野陽子です。とうとう私にもPTAのお役目が回ってきました。いざ出席した途端、時代錯誤な実態の洗礼を受けています。今回は、そもそも日本のPTAって何? というキホンや海外のPTA事情などから、PTAのあるべき姿を探ってみたいと思います。

そもそも「PTA」って何?

 「いずれやらなければいけない」と言われ、深く考えもせずにPTAの役員になってしまいました。断りたいものの、今まで誰かがやってくれていたのだから何もしないのも悪いと葛藤しつつ、半ば諦め……というのが本音です。

成り行きでPTAの役員になってしまいました… (C)PIXTA
成り行きでPTAの役員になってしまいました… (C)PIXTA

 地域や学校によっても活動や親への負担は異なるので一概には言えません。でも、海外も含めて多くの親が「本当に必要なの?」という疑問を持っているらしいことは、今回調べてよく分かりました。

 考えてみれば、私はPTAの実態を知りません。一昨年、タレントの菊池桃子さんが「一億総活躍国民会議」で「学校のPTAは、もともと任意活動のはずなのに、全員参加の雰囲気がある」といった内容の発言をしました。そこで巻き起こった「PTA不参加論争」。PTAは「任意加盟」らしいのですが、私が聞き逃しただけなのか、うちの学校では入学時に説明がなかった気がします。あるいは、細か~い要綱のどこかで、「任意」の文字が見つからないようにひっそり書かれていたのかもしれません。

 そもそもPTAとは、「Parent-Teacher Association(ペアレント・ティーチャー・アソシエーション)」の略。ブリタニカ国際大百科事典によると、「児童、生徒の親と学校の教師が協力して教育効果の向上を図ることを目的とする学校単位の組織。アメリカで生まれた組織」だそうです。

 なぜ日本語でもPTA (ピーティーエー)と英語が正式名称なのでしょうか。同事典によると、「日本では第2次世界大戦後アメリカ教育使節団の勧告、GHQの民間情報教育局の指導と文部省の協力により普及した」とあります。GHQとは連合国軍が敗戦国日本に設置した総司令部。「ギブミーチョコレート」と日本人がアメリカ人からチョコをもらっていた時代です。それと同様に、終戦翌年に「アメリカから勧告をいただいて」組織は誕生しました。

 日本PTA全国協議会のサイトを見ると正式発足は1952年(日本PTA協議会という名称になったのが1954年)。そこから、たぶんいくばくかの変遷を経ながらも、その時代を引きずって現在に至った雰囲気が漂っています。

スッポリと抜け落ちた「女性が活躍する社会」の概念

 「……だからだ!」とふに落ちた人もいるかもしれません。当然のことながら、今の「男女雇用機会均等法」や「女性活躍推進法」の概念などスッポリ抜け落ちたまま、組織運営がなされているように思います。

 当たり前のように平日の日中にミーティングをするため、働いている人は有休取得を余儀なくされます。効率よりも経費削減が優先され、書類作成では印刷機を使用。版下作成して、手で束ねる作業は膨大になります。コピー機による高速印刷や部単位印刷なんていう機能は使えず、名簿作成やお知らせ書きなどの大きな壁が立ちはだかります。教務主任や他のお母さんがいい方たちなのが救いではありつつ……それで仕事の遅れや有休消化の問題を解決できるわけではありません。

 「働くお母さんもできますよ」の甘い一言に乗せられたものの、役員である限り行かなければ引け目を感じるし、行けば長時間拘束されます。

 たとえ専業主婦のお母さんだって、やりたいことも、やらなければならないことも山ほどあり、加えて子どもの受験やお稽古、もしかしたら親の介護など、忙しいことこの上ない時代。その負担はずっしり重く感じられるのではないでしょうか。

 このPTA、文字通り子どもはメンバーではなく、あくまでも親が学校の補助をする組織です。とはいっても、学校の行事などをPTAが仕切ったりサポートしたりしている限り、子どもはその恩恵を受け、面倒を見てもらうことになります。誰かがやる必要はあるわけです。

 では、PTAの本家・アメリカでは、どんなことになっているのでしょう。アメリカの方法と、ちょっと面白い報道があるのでご紹介します。