3月8日は国際女性デー。苦難を乗り越え、権利を勝ち取ってきた女性をたたえる日として、1975年に国連で定められた記念日です。日経ウーマンオンラインでは、特集「女性に生まれて、よかった?」として、女性である自分を好きになれるようなインタビューやイベントレポートをお届けしていきます。トップバッターは、渡辺直美さん。今絶大なる人気を誇る彼女に、私たち女性が勇気をもらえるすてきなお話を伺ってきました。

渡辺直美

芸人。1987年、茨城県出身。アメリカのシンガーソングライター、ビヨンセの物まねを始め、女性ブランドのプロデュースも手掛ける。アパレルブランド・Gapが展開する新コレクション「Logo Remix Collection」のグローバルキャンペーン映像にも出演。今、世界中で最も愛される芸人の一人だ。

 撮影の準備などで、人の出入りも多く慌しい都内某スタジオ。しかし、渡辺さんが現場に登場すると空気は一転。カラフルな洋服に身を包み、まるで人形のようにかわいらしい渡辺さんの姿に場が一気に和みます。

 3月16日公開のディズニー/ピクサーの最新映画「リメンバー・ミー」は、ミュージシャンを夢見る少年ミゲルが「死者の国」へ迷い込んだことから始まる、家族のつながりを描いた作品。今回、劇中で熱い性格の芸術家「フリーダ・カーロ」の日本版声優を演じた渡辺直美さんに、「私たち女性が抱える多くの悩み」を解決するヒントを聞いてみました。

渡辺直美の「転機」とは

 渡辺さんが日本版声優を演じた「フリーダ・カーロ」は、実在したメキシコの芸術家。劇中では主人公ミゲルが迷い込んだ死者の国で出会うのですが、物語の重要な局面でミゲルを助けるキャラクターとして登場します。

 実際のフリーダ・カーロは波乱の多い人生でした。通学途中、交通事故に遭い大けがを負ってしまった彼女は、入院中、痛みと退屈さを紛らすために絵を描くようになります。その後ディエゴ・リベラ(メキシコの有名画家。後に二人は結婚)と出会い、本格的に画家への道へ歩む決意を固めます。生涯、体の痛みを癒やしに替えるかのように作品を描き続けた彼女は、やがてメキシコを代表する画家となったのでした。

 テレビや雑誌で見ない日は無いほど、あちこち引っ張りだこの渡辺直美さん。バラエティやCM、司会など多方面で活躍している渡辺さんにとっての転機は、何だったのでしょうか。

ニューヨーク留学は一つの転機

渡辺さんが日本版声優を演じた「フリーダ・カーロ」 (C) 2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
渡辺さんが日本版声優を演じた「フリーダ・カーロ」 (C) 2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

 「ニューヨークへの留学は、いくつかある転機の中の一つでしたね。

 普段、どの仕事にも魂を込めて取り組んでいるんですが、留学当時(2014年・26歳)は、出演していたコント番組で、持っているカードすべて出し切ってしまって。スポンジに例えたら、ぎゅーっと水を絞ったカラカラの状態でした。

 このままじゃ2年後、3年後、仕事がなくなってしまうんじゃないか、って不安になって、ニューヨーク行きを決意しました。今後の自分のために英語やダンスなど学んでみたかったし、文化にも触れたかったので。いっぱい吸収して、『また日本で頑張っていこう』って思ったんです」

日本人特有の「空気を読む」文化をどう思う?

 会社でもプライベートでも、ほんの少しの言葉や表情で相手の本心をくみ取るような「空気を読む」「察する」ことを日ごろから求められる場面が多い私たち。

 渡辺さんは、ニューヨークへ留学する前と日本へ戻ってきてからでは、心境の変化はあったのでしょうか。

気持ちは察してもらうのではなく、伝えるもの

握られた、ぐーの手がかわいいです
握られた、ぐーの手がかわいいです

 「日本にいる時は『テレビに出続けなきゃ』『もっと面白いことをやらなきゃ』って自分を追い込んでいて。できないこともできると言ってしまい、結局スタッフの皆さんに迷惑を掛けてしまったこともあったんです。

 でもニューヨークから戻ってきたら、『できないことはできない』ときちんと言おう、と思えるようになった。自分の意見や気持ちを言うことは、わがままでもなんでもないんだ、ってことに気付けたんです。それは、日本にずっといたままだったら、気付けなかったこと。

 例えば会社でも、イライラしている人っていますよね。『この人、なんでイライラしてるのかな』って気になるし、怒ってるの? と聞いても『怒ってないよ』って言う。

 それなのに、だいぶ後になってから『あの時実は○○で怒ってたんだよね。言わなくても分かってたでしょ?』って言われると、『分かんないよ。その時言ってよ!』って思うんです。

 その場で言ってくれていたら、すぐ解決できたり、相手にもっと何かしてあげられたかもしれない。自分の気持ちを伝えずに周囲に察してもらうのではなく、きちんと意見を言ったほうが、相手のためにも自分のためにもなるんだな、ってことを学びました。

 でもそれは、ニューヨークから帰ってきた直後には分からなかったんです。そう気付けるようになった今は、改めて『あの時行ってよかった』って思います」