「哲学」ってむずかしいことだと思っていませんか? 「哲学」とは、「ものごとの正体を知ること」。哲学者の小川仁志さんが、身近なことを題材に分かりやすく哲学の視点から読み解きます。今週も、テーマは大人気TVアニメ「おそ松さん」。自意識って何なんでしょう。

疑って疑って、その先に見えたものは

 「おそ松さん」の六つ子たちが哲学者かもしれないという話は、これまでもコラムの中でほのめかしてきました。そもそも私が「おそ松さんを哲学しよう」などと思い立ったのも、きっと彼らに何か哲学的なものを感じたからだと思います。

 もちろん彼ら自身はそんなこと考えたこともないと思いますが、客観的に見ているとその要素はたくさんあります。まず、彼らは自分の状況を常に分析し、それを言葉で表現している。哲学とは物事の本質を探究することなのですが、そのためには複数の視点から物事をとらえる必要があります。

 その点では、六つ子であることが幸いしているといえるでしょう。一人ひとりが他の兄弟の視点を自分の中に持っているからです。「チョロ松ならこう考えるだろう」とか、「トッティ(トド松)はきっとこうするよね」といったように。彼らはそうやって常に他の兄弟の言動を読みながら生きてきたのです。

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 何より、哲学によって物事の本質を探究するには、物事を徹底的に疑う必要があります。普通はこれがなかなか難しいのですが、これまた強烈な個性をもった六つ子との共同生活のおかげで、彼らはみんな猜疑心(さいぎしん)の塊にさえなっています。兄弟を疑わないと、はめられたり、邪魔されたりしますからね。

 フランスの哲学者ルネ・デカルトは、まさにそうやって疑うことを徹底し、かつそれを方法論として確立することで、近代哲学の鼻祖と称されるに至った人物です。彼はこういいます。

ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。
(デカルト『方法序説』)

 つまり、徹底的に疑うことではじめて、逆に決して疑いえない確固たるものが見つかるはずだと考えたわけです。その確固たるものこそ、物事の本質を探究するためのカギを握っているはずだと。そうしてデカルトが見つけた確固たるものとは、今まさに疑っている自分の意識そのものでした。なんでも疑えるけれども、今疑っている自分の意識だけは決して疑うことができないということです。だって現に疑っているのですから。デカルトはそれを「我思う、ゆえに我あり」と表現しました。

ルネ・デカルト(1596-1650)。フランスの哲学者・科学者。徹底的に疑うことで物事の本質を探究する「方法的懐疑」という方法論を確立。著書に『方法序説』、『情念論』等がある。