自意識は高くてもいい?

 そう、意識こそが物事の本質を探究するためのカギを握っているのです。以後、西洋の哲学の歴史においては、この意識が主要なテーマとなっていきます。その議論の到達点ともいえるのが、ドイツの哲学者G・W・F・ヘーゲルです。

G・W・F・ヘーゲル(1770-1831)。ドイツの哲学者。近代哲学の完成者と称される。物事を発展させる弁証法概念で有名。著書に『精神現象学』、『法の哲学』等がある。

 ヘーゲルはこう考えました。意識が本質探究のカギを握るなら、その意識を高めることで、最強の哲学が完成するはずだと。言い換えると、意識を高めれば、最強の哲学者になれると考えたわけです。それを説いたのが、ヘーゲルの主著ともいえる『精神現象学』です。この本では、意識が思索の旅の中で様々な経験を経て、成長していく様子が描かれています。

 最初は、物事を自分とは関係ないものとして見ていた単なる素朴な「意識」が、やがて自分自身に目覚めることで「自己意識」へと成長します。そして自己と物事を結びつける「理性」へと至るのです。

さらに物事はすべて自分がつくり上げているということに気づいたとき、「理性」は「精神」へと大きく成長し、最終的には何でも理解できて、かつ無限に成長する「絶対知」(人間の知識の中で、もっとも高いところにある哲学的な知識)にまで至るという壮大なストーリーです。

 ヘーゲルはこんなふうにいっています。

ここに精神の最後の形態があらわれる。それは、完全にして真なる内容に、自己という形式をあたえ、もって、概念を実現するとともに、現実のなかで概念を堅持する精神だが、それこそが絶対の知である。
(ヘーゲル『精神現象学』)

 もともと「おそ松さん」の六つ子たちはいずれも自己意識が高く、時に自意識過剰になりがちなのですが、第19話の「チョロ松ライジング」では、見事それが可視化されます。まるで「おそ松さん」版『精神現象学』かと思わせるほどの哲学的物語が展開されているのです。

 いつものようにだらだらと過ごすおそ松とトド松。そこへチョロ松が現れ、「自立するために就活するんだ」などといい始めます。その自意識の高さに兄弟たちは驚き、彼の意識を「自意識ライジング」と名付けます。そして球のように可視化された自意識が空高く浮いている様子が映し出されるのです。

 とはいえ、他の兄弟たちの自意識も決して小さいわけでなく、トド松の自意識のようにミラーボールのごとく輝いていたり、十四松の自意識のように大気圏外にまで飛び出していたり。最後は、チョロ松の自意識が超肥大化して、自意識ビッグバンという現象を起こして終わる・・・という話です。

 あくまでギャグアニメなので、自意識が大きいほど意識が高く、それをからかうという描かれ方がされています。でも、現実の社会では、意識が高いほど評価も高まるものです。それはいわゆる「意識高い系」の人たちのことだけでなく、物事をよく考えている人のことを指しています。

 何も考えていないように見えて、本当はこの6つ子たちは、それぞれの仕方で人生や社会のことを考えながら、懸命に生きているのではないでしょうか。まるで哲学者のように。だからあんなに魅力的なのです。